無駄な信用と情報ロンダリング

Twitterで問題だと感じたのが次のような場合。たとえば。

リフレ派で大学の先生をやっているA先生は、当然脱原発東京電力叩きを盛んにやっている。僕は、もちろん、なんだこの人はと思って見ている。


ところで、全く分野違いだが、やはり有名人で信頼が高いらしいB先生やCさんが、リフレ派のA先生のTweetをRTしたり、非公式RTをしてコメントをつけたりしている。

結論を先に言えば「好きにやっとけば」で終わるんだが、僕が問題だと思ったのは、最初のA先生がどういう立場・スタンスでものを言っているか、B先生やCさん本人やそのフォロワーたちは分かってるのか、ということだった。


つまり、A先生のTweetは、本来ならば、A先生はリフレ派で口が悪くて脱原発や東電叩きを煽っていて云々という文脈「も」あわせて読まないと意味がない。


ところが、B先生やCさんが(おそらく)好意的に取り上げたA先生のTweetややりとりだけ見てしまうと、この文脈が分からない。フォロワーだけでなくて、下手をすると、やりとりをやっている当人たちがA先生のスタンスを分かってない。単純に面白いTweetだと思ってるだけかもしれない。


こうなると、A先生の信頼性は、どう考えても無駄に上がる。とりわけB先生やCさんのフォロワーたちも、同様に分野違いの人が多いだろうから、A先生を批判的に読むということは余計にできない可能性のほうが高い。


そこで、B先生なりCさんなりの有名人がA先生に面と向かって「あんたの言ってる脱原発や東電叩きはおかしい」と言ってくれればいいんだが、誰も言わない。喧嘩したくないし、議論になるとしんどいので、、、ようは、人間関係を優先して、面倒なことはとりあえずお口にチャックしておく方が「大人」だ。


となると、「○○大学のA先生がこう言っていたのを見た」という「信憑性のある話」ができて広まる。


A先生の信頼性が無駄に上がるというのは、こういう意味。

結論の「好きにやっとけば」というのは、ご当人たちがそれでよろしいらしいので他人があれこれいう必然性はないからなんだが、しかしこれが問題なのは問題だと認識しておいた方がいいとは僕は思う。


つまり、マネーロンダリングみたいなもんで、あるTweetが信頼性が高いとされる有名人を経由すれば「○○さんが言っていた」と箔がつくし、有名人のあいだで行われる好意的なやりとりも「○○さんは××さんと親しくやっている」と言った形でやはり信頼性が上がる。


そうなると、本当ならばネットはおおよそ批判的に読んでほしいのに、そういうことにならない。ある種の下駄が履かされてしまう形になる。


・・・たとえ東大京大慶応早稲田の先生といえども、むやみに信用できないもんです。良い悪いというよりも、そういうもん。


で、当然逆も言えて、不当に評価が低いということもあるんだけど、まあ、これはね。まだいいかもしれない。でも、不当に評価が高いのはねえ。。。