ネット○○派 part105 続・何でもかんでも正しい間違いの話にゃならん

同感。
3×5≠5×3問題について - 真夜中は別の人

この件にわりに敏感になるのは、私は学校でこれを習った時のことをかなりはっきり覚えているからである。


その時は「要するに単位の話をしてるんだな」「何個ですか?と聞いていたら何個ですと答えるような式にすればいいんだな」という理解をした。

僕は全く覚えてないなあ。そもそもこんなこと習ったのかどうか。昔は「(1あたり量)×(いくつ分)」の順序までがっちり強調してたっけ。記憶にない。


件の話題は、結局、乗数と被乗数の関係、「1つあたりの量」の概念が理解できているかどうかが問題なんであって、それさえ分かっていれば5×3でも3×5でもどっちゃでもいいということにしかならない。大事なのは、式の順番じゃなくて、概念の理解だから。


いわゆる「デメリット」の話も、この理解ができていさえすれば回避されるはずなので、「でなければならない」の話にはなりにくいのだろうと思った。だいたい、仮にあたしが「(1あたり量)×(いくつ分)」をそこまで強調したかたちで教授されてなかったとして、あるいは教授されたのに理解してなかったとしても、その後の理解に特段困ることがなかったんだから、重大なデメリットがあるとはちょっと思えない。


・・・


ただし、試験でバッテンがつくのは、その先生が授業で言ってることを理解してるかどうか、確認できなかったからだ。必ずしも親が文句を言う筋合いの問題じゃない。

おそらくこの「3×5≠5×3」問題は算数の問題というよりは指導方法の問題であり、「こうした方が子供に理解させやすい」「子供の理解を測りやすい」といった研究がどこかにあるのだろうと思う。それはそれで認めなくはない。だが「3個の5倍は15個→3×5=15」という「順序」は言語の都合であって、ほぼ同時に習う交換法則を否定するような指導はトリッキーなものだと意識した方がよいと思う。個人的には危ない橋を渡っているというか筋が悪い指導法だと思うが、こういうのは現場の積み重ねのうえのことだったりするので無下にはしない。

もっと言っちゃうと、「先生の教え方の都合」でしょう。方便として「3×5≠5×3」をまず教えることがやりやすい人とやりにくい人がいるはずだと思う。。。だから学校の先生の間で意見が割れてしまうので、たとえば教師を引退した老先生からも批判がでたりするわけだ。
http://homepage3.nifty.com/kkam12/sub3.html
http://homepage3.nifty.com/kkam12/kakezan.pdf

「数の乗法では交換法則が成り立つが、量の乗法では成立しないのだ」言い切っている指導的な方もいらっしゃるようです。

だってさ。そんな無茶なって話だけれど、その先生がそれでうまく教授できて、子供もその後の理解に問題がないんだったら、方便としては「あり」なんでしょう。それなりのメソッドに従ってしまうほうが楽に違いないしね。


で、それはいいんだ、それは。


ネットで議論がはじまると、なんでもかんでも正しい間違いの話にもっていくのって、なんなんだろう。この話なんかは、先生の言うとおりになさい!と一喝すれば済む話であって、無理からに「算数の問題」に持っていく必要はないのにもかかわらず、うじゃらうじゃらやってるのって、「理数系人間」の単なる(以下自粛)。