扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part141

このところ、machinery さんがクルーグマンに関する詳細な論評記事を書いておられて、よくあそこまでやるなと感心している。私も「クルーグマン教授の経済入門」とか読んだ口だけれども、その後 NYT のエッセーを読んでいて、さすがにうんざりしてきたので、わざわざ本をまとめて読んでいちいち突っ込んでやろうという気にもならない。

もちろん、ノーベル賞を受賞した大経済学者を、経済学も何も知らない私みたいな人間が批判する権利は一切ないわけだが、それでも「あんたちょっとおかしいんちゃう?」と言いたくなるものは言いたくなるのであって、それは今年の5月にも書いた。

雑感 - 今日の雑談

私の場合は、ユーロ危機のころにクルーグマンのエッセーを読んでいて、はっきり言えばアメリカにおける政治評論をするために、ヨーロッパや日本のことをネタにしているだけなんだ、と思った。

というのも、私の上の記事にもちょろっと書いたが、たとえばギリシアのユーロ離脱の可能性が高い、来月には離脱する、いや年内に離脱する可能性が何割ある云々と言って、平気で火に油を注ぐ。当時、ヨーロッパの政治家や政策立案者たちは火消しに躍起でてんてこ舞いだったはずだが、その隣で大きなうちわでビュンビュン煽るのだから、まあ別にいいけれど、そこまでおっしゃるなら先生ねぇ、という気にもなった。

また、財政政策についてもなんかいろいろ言っていたような記憶があるけれども、ヨーロッパの政治的状況をたぶんほとんど無視して言っているのじゃないかと思った。たとえば、どうしてドイツがああいう態度になっているか、どうしてドイツの世論がああなっているか、いまでもほとんど理解されてないし、私だって一時は「もういっぺんドイツを焼け野原にしたらどうだ」くらい腹が立ったものだ。けれどもよく考えてみれば、一番苦しい時に誰からも助けてもらえなかったドイツ人の気持ちももっともなところなんであって、よく「ユーロの勝ち組」などと安易に言われるがそういう言い方はドイツ人に失礼だろうと思うわけだ。まして、ドイツ人の頑迷ぶりを馬鹿にしたところで仕方がないし、意味もない。

またこれは大先生だけの問題ではなく米国のエコノミストも総じて間違えていたそうだが、ユーロを救う決定打として「ユーロ債」の話が当時はしばしば出てきたけれども、でもこれは「法的に、政治的に、まず出せない、非現実的な案」であって、政策当局から一蹴されてしまっている。ECB の関係者の本で、「ユーロ債は米国の専門家たちからよく提案されたが」とうんざり顔で「それは無理」という話を書いているものを読んだことがある。

要はクルーグマン先生のご高説は結構だけれども、実現可能性をどこまで考慮しているのか全く不明なので、じゃあんたそれやってよ、やってごらんよと言って投げられると困るに決まっていて、無責任なことを言い続けるのもいい加減にしてくれ、と読んでいるこちらは思うわけだ。「先生、そこまでおっしゃるなら、是非『クルーグマン・ファンド』でもお作りになって、それで資金を集めて、南欧諸国の債券をとりあえず5000億ユーロくらい買ってくださいよ。え、できないんですか?そんなご冗談を」と言いたくもなったのも道理というものだ。

さらに言えば、欧州の当局者からすれば、クルーグマン先生のおっしゃることは反ユーロのポピュリストたちにとって格好の材料となりうる危険な言説、とみなされかねないとすら思う。実際、ポピュリストが都合よく利用したことがあったわけだが、そんなことも日本にいる日本人は多分知らない。

という次第であって、専門分野の見識についてはともかく、一般向けのエッセーや書籍に関して、クルーグマンの言うことは信用しなくなったし、あの人の言うことを信用している人の見識を疑うようにもなった。

だから、machinery さんのように、わざわざ先生の本をまとめて読んで、いちいち突っ込んでやろうという気にもならないので、よくやってらっしゃるなあと思うのである。

ただ、machinery さんの詳細な論評を読むと、日本や欧州の制度や政治的状況をあまり理解せずにものを言っているということがよく分かって、ああ私の結論と結局同じだな、と。