掛け算順序問題は、以前にもこのブログに書いたことがある。面倒くさいのでリンクしないが、ネット〇〇派扱いになっている。基本的には、教授法の方便としてやっているだけではないか、という線で書いていた。

 

それから10年近くたっているんだが(こんなバカな議論を10年もやってんだね)、先日面白いと思ったのは、この時期になると小学校2年生が掛け算の文章題を習って試験されると×になってしまうので、それに憤慨する親がネットに挙げて、それに同調する人たちが騒ぐのだ、という話だ。

 

そんなことなのではないかと思ったが、要するに、子供の試験の点数が落ちるので、それで親がガタガタするだけの話だろう。

 

この問題に限らず、小学校段階の試験の点数を細かく気にする親というのがいるんだが、私はたいていの場合、あまり心配する必要はないと答えることにしている。

 

たとえば、この掛け算の順序の場合、どんなに遅くとも中学校になっても拘束される規則ではなく、仮に小学2年の試験で順番を間違えたとしても、心配する必要は全くない。掛け算の順序にこだわるあまり、交換法則が理解できない子供がそれほどいるとは思えないわけで、実際、交換法則はちゃんと勉強するようになっている。

 

むしろ、ここで親がガタガタ言うことの方が教育上、大いに問題だ。

  

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しかしこのことは、小学校につまらない規則がないことを意味しない。たとえば、筆算の足し算引き算掛け算の場合、横線を引かなければならないが、この横線を必ず定規で引くように、少なくとも私の知っている小学生たちは指導されている。定規を使わなければ間違い扱いになる。

 

もちろん、これは愚劣な規則で、単に時間が無駄になるだけだし、間違い扱いにする必要は全くない。だから、子供たちには、とりあえず今のところはそれでいいけれど、絶対に定規を使わねばならないものではない、手書きでいいのだということを、大人たちははっきり伝えておく必要はあるだろう。

 

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掛け算の順序の問題がいかに些細で下らない問題か。

 

たとえば小学校に英語の授業が導入されるにあたって、国語の授業が減らされるように聞いているが(本当かどうかは確認していない)、こんな愚かなことがあるかと率直に思う。

 

国語の文章のみならず、算数の文章題や、理科や社会の日本語がそもそも理解できない人間が多いのに、なんで国語の時間を減らすのか。

 

学習時間が窮屈になっているのであれば、学校行事を削減すればよいだけの話だ。運動会や音楽会は本当に時間の無駄なので、あんなものはすべてやめてしまえばよい。準備を含め、学習時間を削ってまで時間を作って、あんなものに子供たちのエネルギーを浪費させるのは本当に愚の骨頂だ。

 

問題の本筋は例えばこういうところで(他にもおかしいと思うことはあり、そういうことはたまにこのブログでも書いている)、掛け算の順序の問題では到底ありえない。