ネット○○派 part35 田崎晴明先生の講演を改めて読む

早川由紀夫先生のTweetに刺激を受けて、改めて田崎晴明先生のサイトを読み直してみたが、2006年のシンポジウム時点で「ニセ科学批判の目的」が整理されていないことがよく分かる。


たとえば、「消費者問題」にはすでに言及されており、
Symposium at JPS meeting Spring 06

そういった「ニセ科学」は、多くの場合、営利活動と結びついており、科学的であると思わせるような言説を用いることで、おそらくは意図的に、科学に無知な人々を欺こうとしているように見える。

あるいは田崎先生の講演記録でも、「『ニセ科学』批判の論点」としてあげられる「『科学的機構』の位置づけ」において例示されているものが、
Science and "Fake Science" Hal Tasaki

一般に、何らかの薬品、治療法、健康器具、化粧品、健康法などの効果と「科学的な機構(メカニズム)」について(かなり単純化・理想化すれば)、
a: 実際に効果があり、その機構も理解されている。
b: 実際に効果があるのだが、その機構はわかっていない。
c: 効果がない。
の三通りの可能性が考えられる。

とあって、明確に「消費者問題」が想定されている。


したがって、

何人かの方たちと意見を交換する中で痛感したのは、彼らが物理学の専門家による適切な情報発信を求めていることだった。明らかに「ニセ科学」と考えられる製品説明への批判記事を書こうとしたとき、拠り所とすべき専門家による情報が圧倒的に不足しているという新聞記者のご意見もあった。

と語って、同僚の物理学者たちへ問題意識の向上を訴えかけるわけである。


しかし、よくよく考えてみれば「物理学の専門家による適切な情報発信」というのは、「批判」と必ずしもイコールではない。ありていに言えば、「まともな専門家のちゃんとした説明を聞きたい」というただそれだけのことにすぎない。天羽先生のような「消費者問題の活動家」としての働きは、一般には誰も期待していない。


つまり、
Symposium at JPS meeting Spring 06

ニセ科学」を正しく批判できるのは科学者だけである。そのような批判を展開していくことは、科学者が社会に対して果たすべき重要な責任のひとつであろう。

という自己規定は、やや行きすぎ、意識しすぎだ。


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他方で、ニセ科学を扱うことによって生じるであろう「教育効果」も指摘されている。
Symposium at JPS meeting Spring 06

シンポジウムの目的は単なる「ニセ科学」叩きではない。(略)下世話に言うなら、「科学」と「ニセ科学」とは同じ市場を奪い合う関係にある。そのような「ニセ科学」といかに直面し、それらにいかに対応するかということは、科学を学び、研究し、教育する者にとって、重要な意味をもっている。なぜ(理科系の教育を受けた人までを含む)多くの人々が「ニセ科学」に引き寄せられるかを考えることで、科学の教育、啓蒙、研究のあり方についても多くを学ぶことができるはずである。

いわば「商売敵」たるニセ科学から、いかに顧客を奪い返すかという問題となる。この問題意識は、先の「消費者問題」としてのニセ科学批判と根本的に異なり、
Science and "Fake Science" Hal Tasaki

物理学会会長(当時)の佐藤勝彦氏による「ニセ科学を批判し、社会に科学的な考え方を広めるのは学会の重要な任務の一つだ」というコメント

につながるべきものだ。


ただ、次のような言明はどう考えればいいのであろう。
Symposium at JPS meeting Spring 06

しかし、「マイナスイオン」を信じた人々はあれを「科学」として受け取ったからこそ信じたのである。その点で、単なるオカルトのたぐいとは本質的に異なることを理解しなくてはならない。

「社会に科学的な考え方を広める」ことを「重要な任務」と位置づけた場合、「マイナスイオン」も「オカルト」もともに「科学的な考え方」とはかけ離れたものとして扱われるべきであって、この両者が「本質的に異なる」とは必ずしも言えないのである。



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この二つの方向性は基本的に対等には共存しえないということはすでに書いた(ネット○○派 part33 小異を捨てて大同につくの政治性 - 今日の雑談)。共存させているように見えるのは、「共通の敵のための大同団結」ゆえにすぎないわけだが、これを田崎先生は、おそらく意識せずに一言でうまく言い当てている。
Science and "Fake Science" Hal Tasaki

日本の現代社会でも、様々な「ニセ科学」が生まれ、無視できない悪影響をもたらしている。

「無視できない悪影響」といえば、「消費者問題」にも「ニセ科学を受け入れてしまうものの考え方」にもどちらにも当てはまる。


しかし、「無視できない悪影響」とは具体的にどういうことか。「無視できない」レベルはどの程度か、誰が決めるのか。社会に対する悪影響がどの程度か、科学者が判断しなければならないのかなど、疑問が尽きず、ニセ科学批判の矛盾をよくあらわしている一言だと言わざるを得ない。


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まー、ホメオパシー祭なんかで明確になってるんだけど、「消費者問題」として叩くのと「科学的思考を普及せん」という立場でホメオパシーを取り上げるのと二股がけしていりゃあ絶対負けることがないので、もう何とでも言えちゃうわけ。で、ホメオパシーさえ叩ければなんでもよくなって、イギリスのはいいけど日本のホメオパシーはカルトだからけしからんので叩くのか、ホメオパシーの原理そのものを批判して叩くのか、そもそも何のために叩くのか、もうぐっちゃぐちゃになる。四年前の田崎先生の講演に、その芽がちゃんとあるわけだ。


それでもみんな「ニセ科学批判」でまとまってられるのは、「無視できない悪影響」があると俺様たちが言ってんだからこまけーことはどうでもいいんだということで一致団結できちゃうからだ。その「悪影響」を「無視できない」と決めるのは「俺様たち」なんだから。言葉悪いけどそういうことでしょう?


立派ないじめの論理ですわな。だからネットで祭りになるし、新聞記者は「被害」を取り上げて叩きゃいいと記事にしてすましてられるわけ。