もう一度書こうかな

僕は、日本でホメオパシーをどうしても拒絶するならば、「科学的根拠がない」という理屈だけでは不足であって、「日本には、ホメオパシーを受容する歴史も社会風土もない」という理屈が必要だろうと思うし、ほとんどこれ一本でいくしかないのではないかとも思っている。なぜなら、他国ではたとえばイギリスの例もあり、あるいはスイスの国民投票の例もあるように、「科学的根拠がない」では存在そのものを全否定する根拠になりえないから(また、他の批判もあった上で存在を認められてると考えるべきだから)。これは、ニセ科学批判が扱える領域を超えているし、扱う領域でもない。


付け加えると、科学者が、科学の立場から、「ホメオパシーには科学的根拠がありません」云々ということをきちんと説明すること、それ自体は有用であって、また必要であるとも思う。だけど、今のニセ科学批判にはそこに限定があるという自覚が、口で言ってるほどには全くない。なぜなら、ニセ科学批判はニセ科学そのものが科学として正しくないことと、ニセ科学による「被害」や「差別」がけしからんことの二股をかけており、科学の立場に自己限定することができないようにはじめからなってるからだ。


今の「ホメオパシー祭」は、その表れだと思う。