日本で「疑似科学批判」が本当に成立しうるのか

そもそも論を言ってしまうと、本当に日本で「疑似科学批判」なんぞが成立しうるのかどうかが疑問でね。


外国の疑似科学批判(あるいは懐疑主義者団体)は占星術からオカルティズム・超能力・UFOまで扱うのが常であって、、、つまり、彼らの主張の中で何が大事なのかというのが、こういう部分に表れてきている。


うっかり、日本のニセ科学批判ではUFOまでは扱わないだろうと書いたら、長崎大学の講義ではUFOに触れていて、ああそうですかという感じだった。で、参考文献をみたらSkeptic's Wikiが筆頭に挙げられていて、日本と外国の違いに特に敏感な感じはしなかったんだが。。。
http://astro.edu.nagasaki-u.ac.jp/~masa/lecture/pseudoscience/list100428.html


ドイツにはUFOをまじめに批判的に研究しようという懐疑主義者がいて、彼が懐疑主義者団体の過激ぶりについていけなくなったという話は前に書いた。「UFO話は楽しくてついつい余計なことまで話してしまうんですよね」と言ってしまう長島先生とは、悪いけど問題意識が全然違う。
http://astro.edu.nagasaki-u.ac.jp/~masa/pseudoscience.html


で、さすがに「学研『ムー』」の世界を講義で扱うつもりはないわけでしょう?。Wikipedia日本語版「疑似科学」の項目で、ガードナーが例示したものを見ると。。。。
疑似科学 - Wikipedia

マーチン・ガードナーが『奇妙な論理』で挙げているもの
(略)
海に沈んだ超大陸
ピラミッドパワーと数秘術

あと「英語版の疑似科学例」には水晶パワーも挙げられてる。これに超能力(ガードナーの例示では「超能力・超心理学」「盲目の人が指で文字をなぞって字を読む」「超能力を教育する機械」「ユリ・ゲラーと超物理学」)とUFOとオカルティズムを足せば、要するに、「学研『ムー』」の世界。


「学研『ムー』」の世界が批判対象として大事なのは、結局疑似科学批判なり懐疑主義者団体の立場が何かをよく表してるからなんだよな。


でも、信仰心の薄い日本にはそういう文脈も土壌もない。


したがって、現実には日本のニセ科学批判(「疑似科学批判」ではない)では、「ニセ科学詐欺だ」みたいなのが中心にならざるをえない。なにせ血液型性格判断まで「差別」例を挙げなきゃならないんだから、どうにも。


菊池先生たちは、きっとその辺を分かって日本流に改変したんでしょ。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html

 一方、「ニセ科学」という言葉で超 能力やオカルト、心霊現象、あるいは星占いのたぐいを思い起こす向きもあろう。こ の中で超能力(テレパシーや予知、念力など)については「超心理学」という学問分 野まで存在するので「ニセ科学」と呼べるだろうが、オカルト・心霊などはそもそも 「科学的」な外観を持たないので、ニセ科学とは呼ばない。オカルト信者自身、オカ ルトを「科学」とは考えていないだろう。

外国の懐疑主義者団体は、占星術もオカルティズムも批判対象にしてる。疑似科学批判と懐疑主義者団体を必ずしも同一視することはできないけれど、かなり重なり合ってることも間違いないわけでね。


それに、「ニセ科学」はその手の超能力・オカルトとは一線を画すんだという意図は、例示されてる事例が「血液型性格判断・フリーエネルギー・マイナスイオン・波動・ドーマン法」であることで明らか。


その辺を分かって改変した(であろう)菊池先生たちの意図は理解するけれども、なら、日本の「ニセ科学」と外国の「疑似科学」とは全くの別物だとして分けて考えたほうが、ずっとわかりよい面がかなりあるのです。だって、語られる文脈が全く違うし、それに従って中身も違ってくるんだから。


そうじゃなくて、外国の疑似科学批判との連続性を強調したいんだったら、合理主義こそ善をもたらす、ファッキュー宗教!と言えば、それはそれではっきりしますよ。ずるいんだ、この辺が。ぐちゃぐちゃになってる。


僕は外国の疑似科学批判も全く否定的に見てるけれど、あれはあれで筋が通ってると思うし、団体を作って活動してるだけ偉いと思う。それに引き換え日本のニセ科学批判は、、、ということですわ。