懐疑論者とは何か

・・・と言って大上段に何事かを言うつもりはない。こういう話題になると、必ず小難しい話をしだすことが多い。哲学的懐疑主義がどうの科学的懐疑主義がどうの。


しかし、“Skeptic”という英単語が一般に指し示すものは、その実態としてはオカルト批判や超常現象批判を行う人たち(その多くは無神論者)というのが多いようで、CSIのような団体を眺めても、大方そのようなものに見える。もちろん、穏健な人も少なくないので十把一絡げには扱えない。でも、実際のところ哲学問題や科学論の類がどこまで密接に関係しているか、正直言って疑わしく思っている。


そして、日本のネットで言う「ニセ科学批判」のある一面はその延長線上にあるものと考えたらいいんでしょうね。


Edgar Wunderのエッセーでも小難しい議論は出てこない。でも、面白い整理の仕方をしていると思う。



Psychophysik.com
1998年春にCSICOPの代表Paul KurtzがCSICOPの会員にアンケートを行った。設問は、「次のうち、あなたの物の見方の特徴をもっともよくあらわすものは何ですか」。その結果。

„Strong skeptic“ (77,5 %), „Mild skeptic“ (16,2 %), „Neutral“ (2,4 %), „Mild believer“ (1,0 %), „Strong believer“ (0,4 %).


これに対して、Wunderは次のように評する。

Dem kann wohl entnommen werden, dass erstens für Kurtz der Begriff „skeptic“ das Gegenteil von „believer“ meint, er also für „unbelief“ steht (...), zweitens, dass für Kurtz die Position eines „skeptic“ nicht „neutral“ ist. Drittens, dass sich zumindest unter CSICOP-Anhängern empirisch nur eine verschwindende Minderheit als „neutral“ versteht. Würde man im Kontext dieser Umfrage „skeptic“ im Sinne von „open mindedness / critical thinking“ verstehen, wären Begriffe wie „mild skeptic“ oder „neutral“ ziemlich sinnlos bzw. schwer verständlich. Ganz offensichtlich ist mit „skeptic“ hier ein „unbeliever“ bezüglich des „Paranormalen“ gemeint.

このことから分かるのは、まず第一にKurtzにとって“skeptic”という概念は“believer”の反対、つまり“unbeliever”のことだ。第二に、Kurtzにとって“skeptic”という立場は「中立ではない」。第三に少なくともCSICOPの会員のうち、自分を「中立だ」と認めているものはごくわずかしかいない。このアンケートの文脈で、もし“skeptic”を“open mindedness / critical thinking”と解するなら、「穏健な懐疑論者」や「中立」という概念はほとんど意味を持たない、あるいは理解するのが難しくなってしまう。しかし、こと超常的な事柄に関して“unbiliever”だという意味であることは明らかである。



ここでWunderは、「懐疑論者」という言葉の意味がそれほど自明でないことを指摘したがっていて、わざわざ図にしている。
Psychophysik.com


縦軸の上が“belief”下に“unbelief”、横軸の左に“dogmatism”右に“open mindedness / critical thinking”を配す。


そこで問題は、
Psychophysik.com

Bildet die „belief / unbelief“-Dimension die Demarkationslinie für die Mitgliedschaft jener Bewegungen, oder ist es die „dogmatism / open mindedness-critical thinking“-Dimension?

懐疑論者運動の境界をなすのは果たしてどのディメンションか。


Wunderによれば、GWUPには右上“belief・critical thinking”の人間はいないが、しかし会員のうちのかなりが左下“unbelief・dogmatism”の人だろうという。



このまんま、彼の意見をうのみにできるかというと、それはできない。だいたい、議論の背景に懐疑論者たちの路線対立があるものだから、下手をするとトンデモ擁護論気味に解釈しかねない。ただ、創設メンバーの一人で、いわば身内の人物からさえもこのような批判が出るというのが面白い。


同じくGWUPにいながら批判した、Rudolf Henke氏のエッセーでも“Fanatismus”と題した項目に、GWUPの会員たちの発言が紹介されている。「地球放射線の専門家」は「GWUPに参加しているのは、Dogmatikerどもの計画を叩き潰すためだ」といい、あるいはオカルト部会の代表はドンキホーテになぞらえ「目前の風車こそ、我々が突撃し続けるべき対象だ」と吠え、ある小児科医は超常現象の危険性をナチスの不合理性と比較し、別の医師はEsoterikerたちをいっそ燃やしてしまいたいと叫ぶ。GWUPの上層部も同じく怒りを隠さない。
http://www.skeptizismus.de/henke.html


何度も書くけど、この団体、CSICOPと組んで世界大会やったんだよなあ。ま、いくら穏健派がまっとうなことを言ったって信用されないって、こういうことだ。



あと、上のようなWunderの整理の仕方は面白く思った。彼はあとの部分で、時と場合によって“Unbelief”としての懐疑論者と“critical thinking”としての懐疑論者を都合よく使い分けるいい加減さに怒ってるんだけど、こういう見方はしたことがなかった。


菊池先生の「信じるな疑え!」ってなインタビュー記事があるけども(これ)、このタイトルだとWunderの批判にきれいにはまってしまうわけだ。



日本は欧米と違って、無神論がわざわざ成立するような土壌がない。にもかかわらず、ニセ科学批判にはファナティックな人たちがやっぱりいる。洋の東西で共通してるのは、「合理主義に対する素朴な信頼感と不合理に対する嫌悪」なんでしょうが、欧米の無神論にはプロテストの側面がある一方で、日本はそんな意味合いがない。だから、同じことをやると「お前らは科学教か」という話になって浮いて見られやすい。


ただ、ニセ科学批判が賢いのは、CSIやGWUPと違って科学分野に限定したこと。これでうまく釣っている。だけど、根っこがアレに感化されてるもんだから、どうにもならない部分があるなあと僕なんかには見える。ニセ科学批判がネット右翼化するのもさもありなん。。。というよりもむしろ、あちらの懐疑論者団体のほうにネット右翼的な部分があるからこちらを感化しているのかもしれない。それはまた今度。