ニセ科学批判の御都合主義

地下猫さんがフランスの基準を持ってきたのは失敗だったなあとあらためて。


自然科学をやってる人はどう見えるのか知らないが、ああいう基準って、方程式に数字を代入したら答えが出るみたいな話でなく、難しい議論を重ねているからこそ運用も慎重であるべきもののはずなんです。でないと、まずカルトとセクトを分けまして、なんて話はしない。


どんな分野にもニセ科学批判みたいな急進的なグループというのはいます。その意見を汲み上げながら、しかし他方で社会の自由や権利を大局的見地から守らなきゃならないから、だからあれだけ難しい議論をし、認定の条件も凝ったものになっていて。何も珍しい話じゃない。

そうしないと、たとえばネットに限ればニセ科学批判だってカルトじゃないかとなりかねない 。ニセ科学の危険性をむやみにあげ俗説迷信が流布する社会の奇妙さをあげつらって不安をあおり、天羽先生や菊池先生を持ち上げて、分からなければ菊池先生の何何を読めば良いと勧め、仲間うちには甘いのに外部にはやたら攻撃的だ。あとこれで組織として集金能力があればカルトなんじゃないの?


。。。という議論がいくらでも出来てしまう。


つまり、ああいう基準の趣旨と、安易に基準を応用して似てる似てると喜ぶ心性とは全く真逆のはずなんだ。と書いておきながら、フランスじゃ柔軟に運用されてばしばし取り締まられてるのかも知れないけども。


カルトの定義を厳格にしないとというのはそのことを言ってるんでな。ホメオパシーを信じるのは宗教みたいなもんだから、まあカルトといわれたらそうだわな、みたいな考えでいる人が社会にいることと、ホメオパシーの人と、どっちが危険なんだか。