ネット○○派 part46

ホメオパシーの議論、7つのQ&A : 情報学ブログ
追記部分。

ただ、ホメオパシー批判はちょっと異常です。一方的な批判しか見られない。これははっきりいって気持ち悪い現象だと感じます。科学は現代社会のコミュニケーションの前提であり、これと異なるニセ科学に対し「異常」という認識を持つのは当然です。だから、どれだけ異常かを挙げることは良いのですが、「痛さの認識」もないと、カルトと一緒です。でも、専門的に疑似科学に取り組んできた人ならともかく、この問題に関して、最近、関心を持つようになった中間層が、どれだけ「痛さ」を理解しているのでしょうか。

同感なんだけど、やっぱり認識が甘いと思うのは、

専門的に疑似科学に取り組んできた人ならともかく、この問題に関して、最近、関心を持つようになった中間層が、どれだけ「痛さ」を理解しているのでしょうか。

という部分。中間層はもちろんのこと、「専門的に疑似科学に取り組んできた人」たち自身が「痛さ」を理解してない。


それは、たとえば論宅さんが言うみたいに「ニセ科学批判派は科学主義者だから」だけでは筋が通らないんです。菊池誠先生だってオカルトみたいなのを全否定しようというラディカルなことまで言ってないので。にもかかわらず、「ニセ科学は社会の病理」と言ってしまう菊池先生自身、「痛い」。実に「痛い」。うまく相対化できてないように見える。


そこで「痛い」のはなぜなのかというと、これですよ。次のコメント欄のコメント。
http://blog.blwisdom.com/shikano/201008/article_4.html

ホメオパシーから一般化して語らないでください。ホメオパシーに傾倒するあまり、実際に死人が出ていることが問題なんです。ちゃんと通常の医療を受けていれば死なずに済んだであろう人が死んでるんですよ?話のレベルが違いすぎます。無責任に駄文を流さないでください。

もちろん、これは一典型でしかないわけだけれども、つまりある「被害」があってそれが許せないのは当然だ、というこの感覚。これを言う人は実に多くて、ホメオパシーの「害のないものの害」を説く菊池先生も例外ではない。


「詐欺が許されないのは世間の常識だ」「ウソを言ってはいけないのは当然」「死人が出るものなんて絶対ダメ」ということを、ニセ科学批判の人たちってわりに普通に言いますでしょう?「ホメオパシーは反社会カルト」というと、そうだそうだとうなずいてしまう。これで自己正当化してるから、相対化できなくなる。


こういうことに対しては、ウソにしろ詐欺にしろカルトにしろ、社会の受容の次元にするなら、ようは程度の問題だったり、法律問題にならざるをえないので、科学が扱える領域を超えるはずなんです。


ところが、その「程度」や「法律問題」を乗り越えさせるのが、「科学的に間違ってる・おかしい」という一言なんですよ。「科学は方法論」「科学は実証的だ」が、社会の受容の問題を忘れさせてる。


・・・


これは、よくよく見ればニセ科学批判のおそらく最初からそうであって、菊池先生の「ニセ科学入門」でもマイナスイオンが問題になったのはマイナスイオンで大企業が金儲けしてるからだし、血液型性格判断は「差別につながるから」だった。


その片方で、「ニセ科学は社会の病理」つまり素朴な理性崇拝を菊池先生たちは確信しているわけであって、これで絶対負けない理屈を構築してきたんです。


だから問題だ、ネット右翼よりも厄介ではないかと僕は言い続けているわけです。ネット右翼になりかかりそうな人たちを、随分説得したことあるけどね。


・・・


こういう人たちに「お前たちは科学主義者だ」とか「科学と宗教は同じだ」とか「科学教」とか言っても仕方ないんですよ。だいたい「科学主義者」じゃない人は、「死人が出てるんですよ!」ってほうで釣られてるはずだから、自分が「科学主義者」であるという自覚ももてないのは当然だ。


したがって、コアなニセ科学批判派を引き戻すことはあきらめるとして、「中間層」に言わねばならないことは次のような類のことだと思う。

1 ニセ科学による「害」を問題視するなら、全体とのかかわりをよく考えてもらう
2 科学的な間違いを他人が行うことについて、意見を言うことはできても、最終的にはその人個人の自由の問題にしかならないということをよく考えてもらう
3 科学が社会に貢献できることは多いが、しかしそれは限られているということの意味をよく考えてもらう
4 ニセ科学批判の理屈の筋をきちんと通せばどういう話になるか、よく考えてもらう

・・・つまり、科学の問題ではなく、科学哲学の問題でもなく、社会の問題なのに、科学の問題にすりかえているところに、ニセ科学批判派の根本問題、というか「痛さ」の原因があるんだ。