安倍さんは人は良いのだろうけれども、親の七光りとコネの権化みたいになるのはそりゃそうだろうと思うわけで、そういう人でも当人が優秀で人格的にも立派で、しかるべき地位についているのであれば納得できる。そうではないから、そらダメだろう、いつまでこいつを担いでんだ、という話になるだろう。

 

無論、親の七光りもコネもない人が、優秀で人格的にも立派である保証はどこにもなく、むしろたいていの人は無能で品性下劣で、むやみに自己評価が高い愚物でしかない。こういう人たちのことを、私たちは「市民」とか「一般人」とか言っている。

 

ただ、親の七光りとコネの構造を誰にも批判できないのではないかというのは、今の皇后を見ていると完全にそれで、よくもまあ、こういう時代に践祚したものだと、私は本当に感心している。日本国民の統合の象徴かどうかは私は知らないが、確かに時代を象徴している。

 

私は皇室関連のニュースについてメディアの操作があまりにもひどすぎるので、このブログにも多少は書くことにしたが、メディアに対しては二十年も前からちゃんと手が打たれていたという話を私は聞いている。手を打ったのは誰という主語は避けておく。メディアの人間はそれを買収されているだけだとも知らず嬉々として話すのだから本当に愚かなものだ。

 

つまり安倍さんのああいう構造が容易に成立して誰も批判できなくなるのも、むべなるかな、と思うわけだ。

 

今上と皇后は、よく今のタイミングで即位したものだ。なんという皮肉だ、見事なものだ。

以前、青年会議所の人間に、あんたがた、青年会議所のなにがいいの?と聞いたら、色々JCのメリットなるものを教えてくれた。年商が何十億になるかもしれないという「メリット」を聞いた時はアホ臭くて呆れたが、返答のなかに、

「一千万も使えば、安倍首相にも会える」

というのを挙げていた。単にJCの活動費としてそれだけ突っ込めば、なんかの機会に首相と面会できるということか、別の意味があるのか、よく分からなかったが、とにかく、あの世界では安倍さんはスーパーヒーロー、スーパーアイドル扱いなのだとは思った。

一番つらいのは、JCのような活動をする人たちより、下手すると安倍さんの方がまだましなのかもしれないという絶望的な現実だ。

これはJCに限ったことではないけれど、親の七光りとコネで、本人はなにもなくても、さもなにかやった、できたことになってしまうシステムができ上がってしまっていて、はっきり言えばそういうアホどもがしっかりポストを押さえており、能力があってまともな人格の人間がしかるべき場所にいられないようになっているということが、青年会議所の人間と話していてもよく分かったし、社会を見回してみても、そういうことなのだろうと思っている。

首相が公職選挙法違反の疑いを持たれるようでは、即刻退陣するのが当然のはずだけれども、今の日本人に本当に背骨があるのかどうか。

森友・加計では、グダグダになったのを目の当たりにしたので、正直言って何も信じられないでいる。

首相の桜を見る会、芸能人など多数呼んでひどい宣伝をするものだとは思っていたが。

森友・加計を結果的に許してしまっている以上、こんな話は特に驚かない。

とっくに限界を越えているのだけれども、今の日本人は経済合理性以外の行動原理というか判断基準というか、そういうものがなくて、倫理観念を喪失しているようにしか見えないので、今度もやっぱりグズグズしながら話はなかったことになるんじゃないか。

情けないことだが、私は私でそういうものとは縁を切った世界で生きていたいだけだ。

天皇の祝賀行事等々、テレビを見ないのでよく知らないが、ネットのニュースはいくつか読んだ。

 

行事では皇后が何回も泣いているらしく、それが好意的に報じられているのを知った。

 

少なくとも私の理解を超える。

 

この皇后の反応を見て、市民たちは、「お前ふざけとるんか」と怒るのが当然だろうと思う。自覚がないようにしか考えられないからだ。自覚があったら、泣けるはずがない。別の意味で泣くのであればともかく、そうではなさそうだし。

 

ちなみに、件のパレードの延期は宮中の意向だという話がなぜかネットに出ていたような気がするが、私はその話も大変に疑っている。

 

あの台風の深刻な被害の最中、皇居に入る車でニコニコしていた皇后を見て、そんなに嬉しいのか、と受け取るのが普通だろう。

 

どこからどう見ても、パレードを延期したがってるようには見えなかったのだけれども、どうなんだろうか。もっとも、天皇の意向はどうだか知らないとはいえ。

 

・・・と思ったのだが、どうしてそういうことを誰も言わないのかが、たとえくちゃくちゃでもイタリアの共和政を見ることに慣れている私には分からない。

一般論として、同和問題を「関西の闇」という表現で十把一絡げにすることには大いに抵抗がある。

 

部落の人だからと言って全員がとんでもない人だというのは立派な偏見で、ちゃんとした社会人として誠実に生きている人たちは多い。部落でない人のほうがいろいろな面でよほどひどかったりする。

 

その上で、部落を盾に利益を享受しようという人は実際に存在するわけだが、当然公平性はそこにはないわけで、怒る人がいて当たり前、いやむしろ怒るべきだろう。

 

そこで、一般に「強者」にあたる側が、こうするより外に仕方がなかったのだ、やむを得なかったのだという言い訳をするべきではない。ましてや、自分は被害者だなどと言い出すことを許していてはいけない。

 

同和問題は確かに根深いが、訳知り顔に「関西の闇」と言ってみたり、あるいはだから仕方がなかったのだと言って被害者ヅラをして開き直ることを是認していてはいけない。

 

部落差別を撲滅する道は他にないはずだと信じている。

 

 

 

 

 

https://jura03.hatenadiary.jp/entry/2019/06/29/121203

 

環境大臣の発言が取りざたされている。売れっ子の政治家だけに注目されているわけだけれども、ここではその評価云々についてはひとまず置く。

 

私が非常に気になるのは、日本人の気候変動問題におけるあまりにもあまりな問題意識の低さだ。

 

・・・

 

たとえば、国連に出てきたために日本でもようやく名が知れたグレタ・トゥーンベリだが、そもそもなんで今頃になって日本のTwitterでもがやがや言われる程度に名前が知れたのか、私には全く理解ができない。

 

グレタの日本語のWikipediaを見ると書いてなかったので驚いたのだが、彼女はアスペルガー症候群である、というのが重要な要素になっている。芝居がかっている云々というのは全くの的外れで、アスペルガーの子が一人でストライキを始めたところ、1年でああなってしまったところに意味があるものと考えないといけない。

 

背景に大人の事情はいろいろあるのだろうが、少なくとも欧州では気候の変動が深刻にとらえられており、彼女の言いたいことそのものに異を唱える者は皆無なのではないか。たとえば、彼女の食べ物がプラスチック包装されていたりするのをとがめられたり、あるいはあの調子で説教するのをからかわれたり、というのは見るけれども、それ以上の批判はあまり見ないように思う。その程度に欧州人は深刻に問題を考えており、彼らの反応を「ヒステリック」と一言で片づけることは不可能だ。

 

氷河が溶け続けていると日々宣伝されている欧州と日本が違うことは何もなく、日本にいても太陽光線がそもそも過去と違ってしまっており、単に「今年は暑い」で済ますことができるとは到底思われない。台風の大型化や狂暴化も、気候変動の問題と無関係であるわけがない。

 

・・・

 

もちろん、日本が地球環境問題に全く無関心であったわけではなかった。技術開発などの一般的には地味な問題にも取り組まれている。原発の必要性を声高に言いにくい状況の中(少なくとも目先は原発が必要なのは理の当然だ)、石炭火力まで批判されるとやりきれなくなるのももっともだ。(たまたま、今年あるところの石炭火力の石炭の消費量を聞いて仰天したものだが、だから原発を使えばいいじゃないかとあらためて思ったものだ)

 

しかし、売れっ子の政治家が環境大臣に就任して、上滑りなことを言うと(この問題で具体的かつ実行力のあることを言うのは非常に難しいと思うが)、大っぴらに話題になり、その影響でグレタの話もネタに上がる、程度に、気候変動問題に関する認識が薄い、そのほうがはるかに問題ではないか。

 

地球環境問題に注目させたので、売れっ子の新大臣でよかった、という話にはしない。こういう議論の仕方がだいたいろくなものにならないのは経験の教えるところであり、私が言いたいのはそういうことではない。

 

気候変動についてどこまでも他人事感が漂う日本人の認識を、私は問いたい。 

 

 

忘れないうちに書いておこうと思う。先日25日、ドイツのシュタインマイヤー大統領は、フィヴィッツァーノで行われた、ヴィンカの虐殺の式典に参加し、イタリア語で挨拶、謝罪をした。

 

ヴィンカの虐殺というのは、レジスタンス時代の1944年に起こった虐殺事件で、ヴィンカの住人がナチスファシストらによって殺害された事件だ。174名が亡くなった。

 

イタリアのマッタレッラ大統領とともに75周年の式典に出席したシュタインマイヤー大統領は、「ドイツ人にとって、ドイツ連邦共和国大統領にとってこの場にいるのは難しい」とイタリア語で挨拶して、ナチス時代の蛮行について謝罪した。

 

・・・南京大虐殺って日本人は何人殺したんだっけ?と言いたくなるわけだが、それはともかく、ヨーロッパではこういう努力が絶えず行われていることを、日本人はもっとよく知った方が良い。

 

条約を結んだから、それで話は済んだんだ、というものではないことを、欧州人はよく知っている。

 

私は朝鮮半島の情勢は全く知らないが、どうみても韓国サイドに問題が全くないとは言えないわけだけれども、それにしてもそもそもとして、ドイツとイタリアのこういう話が日本では全く参考にされないことは非常におかしいと言ってもよいと思う。

 

石破茂が戦争責任についてブログに書いていたけれども、その話自体は全くもっともで、枢要の政治家からそういう発言がでてくることそれ自体はいいことなのだろう。