あれだけインバウンドが云々されていたのに、海外からの旅行が、結局通り一遍の日本イメージの強化で終わってしまっているのだとしたら随分損なことだった、と思う。

 

私もこの数年、イタリア人のグループと一緒に観光地を行ったけれど、その時には必ず、イタリア人が持っていそうな固定観念が破壊されるような話をしようと思ったものだ。

 

なので、今回、日本に何度も来て日本のことをよく知っていると思っていたイタリア人たちが、欧米メディアや日本在住ジャーナリストの歪んだ報道を鵜呑みにする有様を見て随分がっかりした。海外の日本報道の歪みは、日本への無理解というより、人種差別に由来するのだけれども、それが理解されていない。

 

もっとも、一番問題なのは英語でまともな広報をやらない日本政府だったり、海外の報道に同調する日本人だったりするので、彼らだけが悪いとも思わない。イタリア語翻訳をやっている日本人が、立派なイタリア語で「日本政府は」云々と言うのだから、私みたいな中途半端な人間の話は全く通用しないのだ。

 

だいたい、日本人だって例えば韓国に関する報道だと歪みがすごいし、そうでなくても外国人差別がきつい。

 

だから人のことは言えないわけだけれども、日本について何も知らないイタリア人ならともかく、よく知っている人間がそうなったことにがっかりした。

 

一時はイタリア語が分かることが本当に苦痛で、なんでこんな言語が分かるようになったのかと思ったくらい苦痛だった。変に分かっちゃうより、適当に「イタリアがんばれー(ハート」とか言っている方が、お気楽でいいよねぇ、そりゃあ。日本のことをボロクソに言っている連中に、なーにが「がんばれー」だ、バカじゃないかとしか思えなかったけれども。

 

結局、おかしなことを言うようになった人間とは連絡を取らないことにして、きれいに掃除をした。その代わり、友達が随分減ってしまった。

 

苦痛だったイタリア語も、今はダンテ・アリギエリ先生の顔を立ててやることにして、まあ仕方がないかと思っている。それにヴェルディも好きだし。モンタルバーノ・シリーズはあんまり面白いから、イタリアのアマゾンから続編が届くのを待っているのだ。

 

私はそれほどの愛国者ではないつもりだが、ただ、イタリアとの付き合い方、ヨーロッパの人間との付き合い方について、改めて反省する機会を得ることができたように思う。

 

人間の醜い部分を、あんまり見たくはないものだ。