新型ウィルスの話を見ていると、これはつくづく、差別問題なのだと痛感させられている。

 

たとえば、イタリア人はアルプスの北の人間からバカにされているが、そのイタリア人が新型ウィルス騒ぎの初め、アジア人を強く差別していたことはよく知られている。

 

そのアジア人の中でも、日本人が中国人を差別したり、ということがあるわけだが、ここでは欧米の人間の差別意識の強さにほとほと呆れかえっていることを書いておきたい。

 

ほんの15年ほど前でも「英語で医学を勉強しないから日本の医者は劣等」ということを言うアホが海外にはいたそうで、そんなことを言われて悔しくて数式を書くと「記号だから分かるんだよな」と減らず口を叩かれた、という実体験を聞いたことがある。

 

ネットの記事やテレビに出てくる感染症や公衆衛生の学者・専門家たちは国際的に活躍している人ばかりだが、こういう人たちが陰でどういう目にあってきて、いかに差別と闘ってきたのか、容易に推し量れようというものだ。

 

私はうっかりイタリア語なんぞが分かってしまうのだが、それでも、もう十分、イタリア人が気の毒だという気は失せつつある。どんなに遅くとも2月の半ばには欧州の各国政府は、どういうことになるか知っていたはずなのに、ほとんど何の手も打たなかった。イタリアの高齢者施設が3月になっても新型ウィルスに対する警戒が甘かったらしい話なぞちゃんちゃらおかしくて、私が知っている介護関係の人たちなぞ見ても、日本の施設はもっと早くから警戒していた。それが当然だろう。

 

「あれだけクルーズ船で日本のことを批判したのだから、当然、少なくとも大陸欧州は対策をしているだろう」と踏んだ私は大甘だった。だからなおさら同情する気は失せる。

 

死人がたくさん出るようにわざわざしているんだから、なんで死人が出ることがそんなに気の毒なのか。納得いくように説明してほしい。

 

自分たちのことを棚に上げた人たちが、やれオリンピックだから日本はどうの、ドイツは死人の数をごまかしているだのなんだのと言い募るわけだ。これからヨーロッパ中の死者が増えてくると、日本の悪口をもっと言い出すだろう。

 

そこで負けてはいけないのだ。

 

専門家会議に出席している先生たちの意地が、私にはなんとなく分かるような気がしている。「対コロナ戦争」といった表現を見かけるが、本当の戦争の相手はウィルスではない。