今まで日本はよくやっているとしか言いようがないが、批判をするとすれば、たとえばこんなところかなぁと。


3月末には実効再生産数が1を割っており、4月頭にピークを越していたことが明らかになった。

 

つまり、緊急事態宣言はほとんど無意味だったらしいわけだが、もちろんそれ自体は後付けの知識で言えることでしかない。


その上で、


・3月末に実効再生産数が1を割り込んだことを、4月の上旬には政府は知っていたはずだ。押谷仁先生が「危機感がオーバーシュートしている」とメッセージを出したのもたしか同じ頃ではなかったかと思うが、だったらなぜデータを公に出して、緊急事態宣言の必要がないことを政府は説明しなかったのだろうか。


当時は、世論が政府の対応を強く批判していた時期で、なにかせざるを得なかったのだろうと思うが、それにしても数字を出して説明していればどうなっていたのだろう。


世論に迎合することで無駄に経済に莫大な損失を与えたという批判の余地は大いにありうる。


・4月の半ばに西浦博先生が「なにもしなければ42万人が死ぬ」と発表して物議をかもした。意図は明らかで、脅迫することで一般により一層の行動変容を促したかったのだろう。


ただし、この種の脅迫に対して批判は可能。


よく言われていることだが、そもそもすでに対策を施しているのに、なんの対策もしない場合のシミュレーションをあのタイミング出してなんの意味があったのか、という批判。


それに加えて強く懸念されるのは、この種の恐怖による脅迫はその時には効果的でも、ある意味では騙し討ちであって、意図的に合理的な判断を市民にさせないようにしていること。


すると、今度はこの騙し討ちを解除するのが異常に難しいことになる。


強い感情による脅迫は、理性的判断を吹き飛ばしてしまう。


実際今そうで、数字を見て合理的に考えると、現状の自粛継続にどこまで意味があるのかと私も思うが、恐怖で脅迫されるとそういう判断をすることがきわめて難しくなる。


しかも4月の半ばだと、医療現場はともかく(4月頭の日本医師会の危機感は私のところにまで伝わってきたから相当だったのだろうと思う)、政府内部ではより現実に沿った現状認識があったはずで、なおのことなんのために脅迫が必要だったのか疑問だ。


もっとも、市民向けのコミュニケーションが難しいのは間違いなくて、3月19日の専門家会議のメッセージが誤って受け取られ、直後の3連休に緩みが生じたという反省があるには違いない。しかも、ゴールデンウィークを控えていれば、より慎重にならざるを得ないのもよく理解できるし、私も心配した。


しかし専門家が恐怖で煽るのは、イタリアの例を見ていると、微妙だ。イタリアの学者がテレビや新聞でかなり過激な物言いをしていたのだが、正しいリスク判断に混乱を生じさせるだけだったのではないかと私はひどく疑っている。


つまり、片方では無茶な言い種に対する反発から過度に安心しようとする人がでてしまい、もう片方でひたすら怯えるだけの人たちが現れる。


それはバランスのとれたリスク判断ができている状況とは言えないわけで、そのためにイタリアは政治的にもかなり難しい舵取りをせざるを得なくなったのではないか、3月頭からの無用の混乱と感染拡大を生んだのではないか、専門家によるコミュニケーションの失敗がその後のパニックの原因ではないか、そう思う。


日本にせよイタリアにせよ、こういった疑問は後々の検証を待つ他ない。


ただ、こういう批判は今のところ可能ではあるんじゃないのと。