神戸大学の中澤港先生がこう言っている。

2019-nCoVについてのメモとリンク

テレビが欧米の新規感染者数が減り始め,いろいろな社会活動の再開に向けて動き始めたと報道しているが,ロックダウンによって抑え込んだなら再開したら再流行するし,対策によって累積感染者数を低く抑え込むことができればピークに到達するまで時間が掛かるのは当然のことだ。Community Mitigationの概念図を思い出して欲しいが,対策に成功すればゆっくり感染者が増えていき,ゆっくり減っていくのだ。日本の収束がドイツやアメリカより遅れていると言って,対策に失敗しているかのような印象を与える報道をするのは間違っている。うまく行ったかどうかは総感染者数や総死者数をどれだけ低くできたかで評価すべき。

こういうことを、なんで政治家がちゃんと言わないのかが私には全く理解できない。一般の不安抑制のための説明は必要だろう。

 

これは国内だけの問題ではない。日本は対外的な説明も非常に手薄なのが問題で、私はイタリア人が理解してないから、わざわざこれを説明してやったことまであるが、本当は日本政府が説明すべきことだ。

  

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ただ、これもイタリア人によく言ってやったことなんだが、私は今の日本の首相を支持していないが、日本政府は今のところよくやっていると思う。

 

今までの努力は、単位人口あたりの死者数としてあらわれていて、よくやっていると言わなかったら嘘だろう。

 

首相のリーダーシップが見えない云々という批判は、他国を見ているとそんなものが欲しくなるが、それほど簡単な話ではない。

 

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私はイタリアと縁があるけれど、公衆衛生上の観点のみからイタリアがロックダウンを導入したとは思っていない。以前も書いたように、当時、コンテ内閣は連立政権の危機に直面しており、新型ウィルスのアウトブレイクを政治的に利用するつもりがなかったかというと、ゼロではなかったはずだ。

 

実際、コンテ首相の支持率は「爆上げ」した。

 

そもそも封鎖措置がどういう経緯で決定されたか後日の検証が出るだろうからそれを読むことにしているけれど、さすがに散歩まで出来なくなったのは、感染者数・死者数の増加がとまらず焦った政権トップが発狂したからだ、としか私には思えない。

 

免疫のためには散歩をして太陽光線を浴びることが必要なのは明らかで、なんでそこまで外出禁止にする必要があったのだろう。発狂したんじゃないかというのは私の勝手な感想なので、何か合理的な根拠があったんだろうと思いたいがよく分からない。

 

ただ、呆れたのは呆れてしまったので、ロックダウンそのものの意味にかなり疑問を感じたのだが、それよりもこれだけの無理をするためにかなりナショナリスティックな言説があふれたことに、相当奇妙な印象を抱いた。

 

やろうと思えば独裁になりかねず、実際そういう危険を指摘する声はあるようだ。

 

たまたま首相のジュゼッペ・コンテは法律家で、EUの各国首脳からも信頼されており、独裁政権を樹立するような野心家ではないので、過度の心配は不要だと言うにすぎない。

 

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日本の場合も同じで、安倍さんはあまり知性的な人でないし、滑舌も悪くて演説に訴求力はないし、独裁政権を樹立したがるには坊ちゃんすぎるので、そういう意味で過度の心配をする必要はない。

 

つまり、首相のリーダーシップが「ない」ことで救われている面がある。

 

むしろ、安倍さんが支持率の低落を危惧して、リーダーシップがあるような演出をとるためになにかしようとすると、それがことごとく滑る。一斉休校然り、マスク然り、給付金然り、動画然り。全部滑った。

 

こんな人物に独裁は不可能であって、それも日本に幸いしていると思う。

 

なので、首相のリーダーシップ云々は首相が安倍さんである限りは期待してはならず、むしろそんなものはなくてよかった、頼むから邪魔しないで、側面支援だけして、となっているのは、幸いと言うべきなんでしょう、きっと。