桜を見る会に行った安倍晋三後援会の人たちが、無料のお土産を袋にぱんぱんに詰めて、それを二袋も持って帰ったりしていた、という話を読んで、浅ましさに吐きそうになったが、それはなにも山口の選挙民に限らない。

 

以前、駅の待合室にあったテレビでたまたま見たのだが、ある市場では特売のイカか何かが名物で、それが売り出されるやいなや、2分で売り切れになる、という。販売時間に向けて行列ができ、よーいどん!で販売が始まるや、血相を変えた人々によるパックの取り合い合戦になる。

 

どれだけ美味しいか知らないが、たかがイカだ。たかがイカでこの人たちはバカではないかと思ったものだ。

 

あるいはこういうこともあった。

 

あるホテルのバイキングを食べていた。そのバイキングは結構うまいので、たまに行く。その時の目玉はカニの食べ放題だった。食べ放題のカニだから大したものではないと思うのだが、他に美味しいものはいくらでもあるのに、カニをあさる人々でそのコーナーはいっぱいで、山盛りの、食べきれないのではないかという量のカニを皿にもって、自分たちのテーブルでむしゃぶりついている人たちを見て、この人たちは本当にバカなのだろうと思った。繰り返すが、カニと言っても、たかが食べ放題のカニだ。一つ二つ食べたら、それで十分だとは思わないのだろうか。

 

結局、戦後何十年もたって、先進国として経済的にも十分に豊かでありながら、人々のこの根性の浅ましさだけはどうにもならなかった。

 

もちろん、人間というのは所詮、そういうものであって、色と欲で生きるものだという達観の仕方は可能だけれども、しかし「欲」と言うほど上等なものとは私には到底思えない。単に浅ましいだけだ。

 

無論、その浅ましさこそ人間の本性だと主張することも可能だ。

 

しかし、私は本性だといって開き直っていては人間ではないだろうと思っている。それに対抗する行動原理があって、初めて人間らしく生きられるのだろう。

 

でも、この浅ましさを是認して反省しないどころか、いろんな言い訳をつけて開き直っている人の方が大多数なわけでしょう?

 

さらに、こういう浅ましいだけの人たちが同時に有権者であって、こういう人たちに一票を投じてもらわないと議員になれない。

 

そういう絶望を日々感じている。私としては、俄然、我が道を行くしかないと思い諦めているのだけれど。