独言

僕がよくみる趣味のブログに、神保町界隈で働いておられるらしい50代半ばの人のブログがあって、これが見事に反原発脱原発で一貫しています。文体は穏やかなんだけど。


まあ、正直言って、いい年こいて何考えてるか分からんと思うわけです。散々趣味で電気のお世話になり、あるいはその電力に支えられた経済活動のおかげで趣味も楽しめているというのに。


別の人のTweetなんかでも、大衆が無知で反抗するのは当たり前なんだから、どんどん東電政府に反対すればいい、そういう大衆を説得したいならしてみりゃいいじゃないか、みたいなことを書く人もいます。この人も中年の方ですけれど。


だけど、エネルギー政策だのなんだのって、どう考えても普通に一般的に理解される筋合いのものでないし、そもそもあれだけの原発事故があって「放射能は怖い」みたいな煽りのほうが効くのが人情なんだから、「説得できるなら説得してみろ」といってインテリ中年が開き直ってあんたどうするのと思ったり。


エネルギー政策なんて一般に理解される筋合いのものではないだろうし「放射能は怖い」も人情だろうから、じゃお金で解決しましょうか、というと「それはきたない」とか言い出す。


無責任でしょ。


いやはや。どこかで見てきた風景と同じだなあと思うんだけれども、右も左もこの手の無責任を、、、いや、理念を説くのはいいし、理想を語るのもそれはそれで必要だけれども、無責任を語って反権力のポーズを取る。


それのどこがかっこいいの。

追記
理念を闘わせることは必要だし、あるいは異なる理念のもとで現実的に対処が違う場合そこで議論することも必要。


でも、全然そんなのと違うじゃない、日本の「論壇w」がやってるのって。論壇だけじゃない、ネットでも同じ。


結局、左の反権力なら反権力という枠から自動的に出てくるものとか、あるいは反権力の人たちの空気から出てくる結論に従ってるだけで、あとなんにもない。とりあえず、なんか吹いてみて「あと知らない」「でも、こんな語りができる俺ってかしこい」。


なんもないよね、ホント。