先日の大雨・大洪水による災害は西日本で発生したために、東京の反応が遅かった、という話がある。どうしても切迫感にかけるのは、確かにそういう要素はあるのかもしれない。

しかし、東日本大震災の時の東京はそのちょうど反対で、という話になるとちょっと待て、と思う。

東京ではどうだったかというと、あれだけの大地震のあとで「帰宅難民」などとほざいていたことは記憶に新しい。

私のように関西にいるとよく分からないが、東京から見ると東北はごく近くの感じがすると聞く。そのごく近くであれだけの地震、大津波で何千何万の人々が命を失い、また原発事故が現在進行中の状況がありながら、東京方面の人々にとって大事だったのは「帰宅難民」のほうだった。

私はこの報じられ方を見て、本当に呆れたことをよく覚えている。これはメディアがどうという問題ではなくて、おそらく一般的な受け止められ方がそうだったということに相違ない。

つまり、距離の近い遠い関係なく、災害が起こったときにその災害をリアルのものとして感じるなにかが、根本的に欠如しているのではないかと、私には思われてならない。

だから、今度の災害の反応が鈍いことを、被災地から東京の距離に由来するものとする考えは、私はとらない。

そもそも、そういう人たちなのだろう。これは、政府・民間を問わず、全体がそうなのだろう。

それにしても、阪神大震災での当時の村山富市首相の初動が遅かったことに対する右側からの批判が定番になっているが、自民党の首相があれでは本当ならばもう人のことは到底言えなくなっているはずだと思うのだけれども、それでも「人のことが言えなくなっている」ということにならないあたり、頭を抱える。