障害者に国会議員が務まるのかというのは、もちろん、障害の程度によるわけだけれども、脳性麻痺や筋萎縮症の患者に議員活動は、常識的に考えれば無理だろう。

 

私は個人的な経験から、障害者についてはいろいろ思うところがあって、「健常者と同じように」と言っても現実的に無理な場合があるのは認めるべきだと思っている。

 

もちろん、個人が自由に活動するのは大事なことには違いないが、「健常者と同様の社会参加を」という類いのことが言われるとき、人の迷惑を考えないで言われることがある。面倒なことは適当に他人に押し付けて、その他の人はみな平和、と。私はもうそういう目にあいたくないので、地に足の着いた、現実的な議論をしてもらいたいと本当に思っている。

 

しかも、こういう考えの人間は善人でないかのように思われるので、余計にかなわんのだ。

 

イタリアのポピュリストも、「議会に直接普通の市民を送り込もう!」というのがスローガンになって、それで大きく成功したが、相当の重度障害の患者を無理やり議会に送り込もうという話まではしていないように思う。

 

日本のポピュリズムがいかなるものか、察せられるというものだ。

 

・・・

 

しかしそれと並んで理解しがたいのが、参議院選挙の「特定枠」という制度だ。

 

これは自民党の候補者調整がうまくいかないので、止むなくこういう枠を作ったというような経緯にしか見えないんだが、こんな選挙制度を、よくもまあ作ったものだと呆れている。

 

私が不注意なだけかもしれないが、メディアで大きな議論になっていたようにも思われない。本来であれば徹底的に批判されるべき制度のはずだろう。

 

重度障害の患者を無理やり議員にしようという話は、この選挙制度をいわば「悪用」したものだ。無論、この場合は人によっては「善用」していると言うのだろうが、こういう利用のされ方ならおそらくましで、どうとでも「悪用」されうる制度であるようにしか見えない。

 

「特定枠」をこそ、もっと批判するべきではないだろうか。