ネット○○派 part338

ニセ科学批判なんて典型的なんだけど、「いかなる差別も許されない」という理念はともかくとして、「したがって一例たりとも差別はあってはならない」からしたがって自分の立場や主張は正しいと持っていけるかどうかは、また話は別だと思うんですよ。


そもそも論として、放射性物質の関係で被災地の人々が深刻な差別を受けている、結婚差別や妊娠を諦める・中絶などの事例が大規模に発生しているという話はまだ聞かない、、、たぶん、部分的にはそういう事例もあるのかもしれないとは思うけど。


で、そういう差別的な行動を促進する言説は認められないというのはそうだろうけど、ではどの程度問題視できるのか、とくにネット民が「言ってはならない」と強制できるかどうか、ある言説に対する批判の根拠にしてよいのかどうかはまた別問題のはずでしょう?


本当に不思議なんだけど、人権擁護法案みたいなので人権救済機関を作りましょうと言うと猛反対するネットの住民が、案外簡単に「これはいけない」という線引きをしてしまって、攻撃するんだよな。本当にいかがなものかと思うよ。表現の自由だなんだはどこに行ったんだよって。
ネット○○派 part334 「線引きを空気で引く」 - 今日の雑談


「あってはならない」という理念はよしとして、現実にどう対処するかってのはそれはそれで別の問題で、一直線に因果関係を結んじゃいけないと思うんだけども。


つまり、「程度の問題」が常に付きまとってくるわけで、こういう場合、差別問題として大きく捉えて何かと自己正当化に利用するよりも、現実にはそれぞれ個別の場合に応じるしかないはずなんじゃないんですか。

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このあたりは、血液型性格判断を批判する際の自己正当化の論理と非常によく似ていると思うんだ。


科学的根拠なき血液型性格判断はよろしくない。かといって、それが血液型性格判断批判をすべて是認するものではなくて、ただ「血液型性格判断には科学的根拠はとくにありません」と言えば済む程度にしか正当化してくれない。現実には、血液型性格判断による差別問題は「そんな差別をする奴がバカ」という認識は広く持たれていながら、あとは酒飲み話で「彼はB型だから」云々の類の話以上のものはない。


そういう現実だと、血液型性格判断による「差別」が、血液型性格判断批判をどの程度正当化してくれるのかどうか、そこは吟味が必要のはずですよ。


でも、誰も吟味しない。「差別はいけません」。だからそれは言ってはいけないんだ、俺たちは正しい。オシマイ。

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ところで、同様の理屈は放射性物質による害や危機を煽る人たちも考えているはずじゃないのか。。。まあ、半年やそこらで白血病が増えたとか騒ぎながらね。


原発事故による放射性物質を原因とする疾病は「いささかも許されない」という立場をとった場合、しかも仮に病気になっても放射性物質が原因かどうか因果関係が分からないとなると、、、彼らの立場主張もそれはそれで分かる。


他方、そう考えた場合に「福島県民差別は許されない」と「放射性物質を原因とする疾病はイヤだ」と何が違うかと言うと、実はどちらも同じだったりする。自分たちが「よくない」と考えるものをいささかも認めないというんでしょう?


放射性物質の問題って可能性の問題で、またこれだけの事故が起こったあとなのだから、現実的には因果関係がはっきりしなくても「放射性物質を原因とする疾病は一人もならない」と言ってる人はたぶんいないはずだし、だからといって「放射線物質を原因とする疾病は一人たりともあってはならない」とか「そのためにはフクシマ由来の放射性物質は基準値以下といえども徹底的に排除する」とか主張するとそれは極端なだけなんだけど、でも実際にはそう考える人たちがいるからヒステリックな反応が出てくるわけですよ。


で、こういう理念としては分かるけれども、現実に対応するとき、「絶対に認められない」とか考えだすといろいろ無理が出てきます。


現実の「程度の問題」を無視した非寛容性や狭量さにおいて、「放射性物質による疾病はあってはならない」と「福島県民差別は断固許されない」という立場から話を論じ始めるのと、何が違うんだろう?

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もっとも、僕は、「福島県民差別」や「血液型性格判断による差別」や「放射性物質による疾病」を積極的に認めろと言っているのではない。


ただ、現実的に考えた場合、自分の主張や立場を正当化するための根拠として、これらのもっともらしい理念だけで本当に十分なのかという疑問を述べているに過ぎない。


福島県民差別は、おそらくある。だけど、そういうことをする人たちを当然のことだと社会的に是認するほど日本は未熟ではない。


血液型性格判断による差別はあるだろう。しかし、広く社会問題化するほど日本人は愚かにもその効用を血液型性格判断に期待していない。血液型で就職差別するような企業はこちらから願い下げするべきだと言えば、ほとんどの日本人が同意してくれると思う。


放射性物質による病気も同じ。病気になる人も出てくる「かもしれない」が、かといってフクシマ由来の放射性物質は絶対に口に入れないとかやりだすのは無理。


本来「あってはならないもの」が、現実に「ある」場合、本来「あってはならないもの」だから「とにかくダメ」だというのでは、議論にならない。「とにかくダメ」だから自分の主張は正しいとする人と、話はできない。


そこを吟味する人が、ニセ科学批判に限ったことではないと思うんだけど、なかなかいないのよねえ。。

追記
表現の自由で騒いでた人たちはどう考えてんのかと思うんだけど、たとえば「福島県民や被災地の人々を傷つけることは言ってはいけない、当たり前だ」みたいな意見についてどう思うのか。人の心を傷つけるのは善悪で言えば善いことではないだろうけど、だけど「言ってはいけない」になると話が違う。


人の心を傷つけるのはよくないことだから、ある表現は許されないってね。そんな簡単な話じゃないはずなんだと思うんだが、表現の自由で騒いでた人たちはどう考えてんのか。