扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part25

某所で、高橋洋一が「さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白」の中で、

 もうひとつ加えるならば、マスコミの反体制、反権力のポーズがある。マスコミは人には進歩的知識人と称したがる、左翼主義的な思想を持つ人が多い。体制批判は、現政権に欲求不満を感じる大衆にも受けがいい。そこをうまく役所はついて、自分たちに都合のよい記事を書かせるのである。
 その結果、偏った情報が流され、正常な世論が形成されない。私はこういう状況に置かれている国民は不幸だと思う。

と書いていたらしいのをみて、、、まさにため息しか出なかった。


ちなみに、この本は機会がなくて結局読まずに居るんだけども、こうなってみると読む必要もないかもしれない。正直を言えば、この本が発売された2008年ごろは、高橋がここまでひどいおっさんだとは思ってなかった。

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ここで指摘されていることは理解できるんだけれども、一つは、実はこの種の「反体制・反権力のポーズ」をやってきた左翼の真似をして中身を取り出して利用しているのが、リフレ派やみんなの党の人たちだ、ということです。


霞が関叩きやむやみな消費税反対論、公共事業反対論などなどは、おおよそ90年代にさんざん繰り広げられてきた言説で、そのヒーロー、あるいはまさにスターが厚生大臣としての菅直人だった。Twitterなどをみると、あのときの菅さんに魅かれた人は少なくないようだし、今でも信じている人たちのイメージは多分あれなんだろうと思う。


そこでさらに「自民党をぶっ壊す」と言って出てきたのが小泉さんで、実際に彼が何をやったかやその評価の問題は専門家の人たちにゆだねるとして、彼が権力を取った構図そのものは、菅さんのあのやり方とほとんど同じだ。「既得権」を握る体制を破壊する改革者としての小泉さんだった。


だから、ごくごく一般的な、庶民的な感覚からいうと、小泉さんは保守政治家じゃなくて改革者に見えていて、つまり構図として「反体制のポーズ」の具現化になってる。。。もちろん、実態として矛盾はあります。でもそういう問題じゃない。


そしてその後、橋下徹というのが颯爽とでてきて彼は「霞が関解体」を唱え、徹底した財政削減と、、、つまり「欲求不満を感じる大衆」の欲求をそれなりに満たしてくれるかもしれない期待の存在だという意味で、高橋が指摘したような構図はそのまま生きています。


つまり、組合でも公務員でもなんでもいいが、彼が叩く対象はまさに既得権を握るものとしての「体制」であって、それを叩く橋下は「反体制派のヒーロー」というわけです。


その橋下に、高橋洋一はいま協力している。


こう振り返ってみると、彼が批判している「マスコミの反体制、反権力のポーズ」「進歩的知識人と称したがる、左翼主義的な思想を持つ人」がかつて作った空気にそのままのっかったのが、実は高橋洋一その人やみんなの党の筋のいろんな人たちじゃないかと思うわけです。


分かるんですよ。小さな政府路線とかつての反体制派がやりそうな権力叩きとはウマが合うと思う。皮肉ですね。


でもだからと言って、ここまでいい加減なことを煽り続けるのを黙って見てていいのかどうか。

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不幸なことに、日本の場合、左右の対立軸が政治的理念ではなく、体制派と反権力の軸でしか展開してこなかったし、今でもそうかもしれない。そのために、左翼が具体的な中身を問うたり責任を持ったりするようなことはしなくて済みました。体制派が最後は悪役になってやればそれでいいんだから。でももうそれで済んでしまう時代は終わってしまっています。左派が権力を握るようになったので。


いわば、体制派も反権力も、どっちも権力を知った悪人になった、、、はずなんだけど、みんな悪人になったんだという自覚がまだない、権力を持っている人たちも、それを支持する人たちも。あるいは自覚はあるけど、美しい建前でいつまでも通せると思ってる。


だから、橋下のような、もともとは反体制反権力の「知識人」のポーズや無責任な煽りの実現として右側から登場している格好になっている人物が平然としてられて、しかも庶民が熱狂する。


さらに、左側が橋下を叩くのは単に橋下が保守派の右翼だというだけであって、彼が脱原発煽りをやったときの反応は、、、もうやめよう。虚しくなってくる。

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二つ目は、こういうことを書いている高橋洋一その人が、TVタックルに出て日銀陰謀論をまきちらし、夕刊紙であることないことを吹いてまさに「反体制派のポーズ」をやり続けてることで、違いは単に「進歩的」ではないということだけだ。


もちろん、悪いのは高橋だけじゃない。同じことをやっているのはほかにも大勢いると思う。


こういうねじ曲がった構図をそのまま是認して喝采してしまう人たち、あるいはこの喝采を是認黙認してしまう、それなりのインテリや知識人たちの責任っていったい何なんだと、僕はそう思うわけです。