扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part55

別に突っかかるつもりは全くないんですが、リフレ派に対してはこの批判でもまだ甘過ぎると思いました。
りふれ派の社会的機能について考える: ニュースの社会科学的な裏側

濱口氏に習いリフレ政策・反増税を推進する経済評論家等の集団を「りふれ派」と定義して、その社会的機能を議論してみたい。ここでの「りふれ派」からは、真面目に研究しているマクロ経済学者や、『道草』でクルッグマンらの主張を紹介している人々は除外する。

himaginaryさんなんか典型的なんですが、本石町さんのことは茶化しつつ高橋洋一を罵倒するなんてやったところみたとこない。おそらく、まともなというか、真面目な人のはずですよ、himaginaryさんご自身は。それでもこの体たらくだ。


ようは、「真面目」だからいいのかというとむしろ逆で、真面目だったらなんで今のリフレ派みたいなおかしな集団を罵倒なり批判なりしないのか、高橋洋一やそれなりにリフレ派を引っ張る人たちの妄言をまず第一に正さないのか、ということなんです。


真面目だからいいんじゃなくて、むしろ真面目な人たちのスルーぶりが問題なんですよ。
りふれ派の社会的機能について考える: ニュースの社会科学的な裏側

「りふれ派」の目的は何か? ─ 著作の販売だと思う。官僚や日銀の陰謀論は売れるであろうし、通貨供給量を増やせと言うソリューションは単純で分った気にさせる。そういう商売も世の中にはある。

と、私も思って、一度このブログにも書いたことあります。で、そういう要素は多少はあるとは思う。そんな大した稼ぎにならないでしょうけど。


だけど、おそらく問題はもっと別のところにあって、今のリフレ派はそういう損得はどうでもいいんですよ。高橋洋一とか他の煽り手たちは多少の欲得というか宣伝を意識しているでしょうけど、それ以外の人たちはとくに。


とにかく俺たちが説くリフレは正しい、その正しいリフレが分からない、実行しない財務省や日銀の官僚どもはアホなんだ、理由があるとすればそれはいろいろ利害があるからなんだ云々。


それがもうアイデンティティのよりどころになっていて、そのためだったら本も買います飲み会にも行きますという、そういう雰囲気になっている。


ああなると、在特会とかと同じで、理屈じゃないんです。で、実際理屈じゃなくなっています。


ことほど左様に、リフレ派はそこまでおかしくなってると思います。