黙っていられないこと part13
橋下の一件の直後、広く見られた反応は「アサヒがまたやった」ということです。つまり、大屋雄裕先生の延長線上にある反応です。
平たく言えば、普段人権だ差別がなんだ言ってるくせに気にいらない敵に対してはすぐこれだ、というものです。
他方で、別の見方もできるわけでそれは玉井克哉先生がヒントをくださっています。再度引いてみます。
https://twitter.com/tamai1961/status/259882076189380609
先の第三の点は、朝日ブランドは日本の言論空間で占める地位が依然として特殊だということ。人権を擁護したい側は、朝日が新潮や文春みたいになってもらっては困るので、こういうときは深く反省して出直してほしい。朝日の世論誤導に辟易している側は、これを機に影響力を削ぎたい。@rrr53
「朝日の世論誤導に辟易している側は、これを機に影響力を削ぎたい」というのは、おそらくそうだと思う。(「朝日が新潮や文春みたいになってもらっては困る」という人たちがいるならそれもどういうことなのかと思うわけですが、ここは置いておきます)
「差別はいけないに決まってるだろ」と逆に突っ込み返すことで朝日の「影響力を削」ごうとしているわけです。
・・・ただし、普段はどういう態度なのかは知りません。そこはあまり関係がない。
つまり、こういう構図になっています。
普段きれいごとを言ってるくせに、「敵」にはきれい事もへったくれもなく刺しに行っている側。
普段は何を言っているのか知らないが、都合のいいタイミングできれいごとを言って政治的に動いている側。
・・・つまり、どちらも差別問題を水戸黄門の印籠として都合よく使おうとしているにすぎません。
もっとも、そこで、喧嘩両成敗の議論にしようとする意図は、私にはありません。
ただ、白々しさはやけに感じています。
・・・
たぶん、「差別記事はいけない」という側は、調子に乗って朝日叩きまでやらないほうがよかった。良くないのは差別なのであって、本来は朝日もなにも関係なく良くないのであると。
他方で、朝日サイドがあっさり折れてしまったことそのものは私はよく分かる気がするけれど、少なくとも佐野眞一は最後まで徹底的にやらなければならないと思う。
・・・
表面上、事態はあっという間に収束したかのように見えます。みな別の話題に飛びついておしゃべりをしているようです。
それは半面、「差別」の問題が完全にネタとして消費されてしまったということなんでしょう。
本当にそれでいいのかどうか。
本来ならばネタとして消費されてはならないことを、メディアも一般人も含め、ネタとして消費されてしまっていることを、もう少し意識した方がいいのかもしれないとは思います。
正直なところ、「俺は傷ついた」と言ってふんぞり返って吠えまくっている橋下なんぞはどうでもいいのですが、そうではない、もっと弱い人たちはどうなのか。
もちろん私には何もできないわけですが、そのことだけが気にかかる、とは言いたいし、ネタとして消費して終わらせるべきでもないと思う。
これが、ネット上の人権擁護法案反対運動に極力抵抗した私の、率直な気持ちです。