扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part113 左派右派の鬼子としての「リフレ派」

https://twitter.com/HWAshitani/status/312922955279650816

新副総裁の岩田氏は原発反対の論陣張って30年、その辺は共産党さんと相容れるんじゃないでせうか。それは日銀の仕事と無関係? それなら「大企業の内部留保の一部を賃金に還元する」のも日銀の仕事ちゃうのでは / “日銀総裁に黒田氏/国会承…” http://htn.to/5q2Pew

https://twitter.com/HWAshitani/status/312925847227076609

岩田規久男氏は西尾漠氏、樋口健二氏、本勝氏あたりと並んで『思想の科学原発問題特集号(1981年)に寄稿していたのだった。チェルノブイリ事故の5年前。反原発第一世代

これ、モノをちゃんと読んでないから何とも言えないけど、単純に考えたら、岩田先生がそもそも、「リベサヨ」って奴の走りで、それでやたら官僚叩きにまい進するわけだ。なるほどね。。。

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/306018098115403776

一応牽制?のために一言。岩田規久男先生は30年来かそれ以上前からの反原発派である。まあ日銀には原子力行政に直接容喙する権限はないけどね。

なるほど、そりゃあ、反原発批判とかできないはずで、飯田先生が反原発と経済成長やリフレ云々を両立させる詭弁を論じるわけだよ。ご本尊の一人がこれだから。

https://twitter.com/Montague926/status/306019197064990720

やはりリフレ派はリベラル、欧米の流れ通りですねー日本では保守がリフレをw日本のリベラル派なにやってんすかねw RT @shinichiroinaba: 一応牽制?のために一言。岩田規久男先生は30年来かそれ以上前からの反原発派である。まあ日銀には原子力行政に直接容喙する権限はない

「日本のリベラル派なにやってんすかねw」、つまり日本のリフレ派は保守が中心だというのをこの人は認めちゃってるんだが、それ以前にこの人は「リベサヨ」ってのを分かってないんだろう。
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このものすごいねじれっぷりをどう言ったらいいものか。

ようは、現在の日本のリフレ派のご本尊の一人が日銀批判をあれだけやるのは、昔の左翼の文脈なんだろうと。たんなるアンチ権力。リベサヨの走りと言ってもいいのかもしれない。

だけど、リフレ論そのものは、当初は、こないだの矢野浩一先生も書いておられたように、小泉構造改革のアンチとして出てきたし、「欧米」の文脈はまさに「リベラル」であると。でも、これは岩田先生みたいな文脈とまるっきり逆のはずだ。

そこで、いつの間にか「リベサヨ」文脈と構造改革派の両者が、「○○改革」や「○○批判」で一緒になってしまって、そして「リフレのため」と称して保守派のネオリベ構造改革派と結託した。

にもかかわらず、「リフレのため」の呉越同舟であると信じている人がそこそこいて、矢野浩一先生みたいな、多分とても真面目なはずの人まで、「リフレ派はリベラル」とか言ってしまっている、と。あーあー。なんてことだ。
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つまり、リフレ派って、日本のこの二十年余の政治状況を体現しているような気がしてきましたわ。

ニュースステーションあたりのニュースショーで、政治批判・権力批判・霞が関批判を久米宏が「左っぽく」「かっこよく」「なんちゃって権力批判『みたいなー』」という調子が受けちゃったものだから、ずーっとその調子で日本はきてしまった。ひろく一般にはそれが正しい、もっともなものとして受け入れられてしまった。テレビを使った単なる扇動なんだけど。

小泉さんが「自民党をぶっ潰す」と言ってその文脈を横取りしてしまって、単純に言えば「久米宏」をやったら世間に受けるからパクっちゃった。そこで、左「っぽい」批判を、今度は右がやるようになって、それが今や、「霞が関解体」を叫ぶ橋下みたいな怪物を生んだ。

ものすごく大雑把に言ってそういう認識を私は持っているんですけど、その意味では橋下を左の人たちが批判する権利ないと思うんですよ。橋下を生んだのはまさに左の人たちだと思うから。

リフレ派ってそういう意味で、橋下と同様に、左と右の野合の結果うまれた鬼子の面があるんですね。ようするに。でないと、この猛烈なねじれっぷりが説明できない。
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日本では、リフレ論ってのが結局、権力批判のツールとして都合よく使われているだけで、まともな経済政策の議論として展開させる気は誰にもなかった、というわけですよ。。。いや、そんなことは知れていたけれど、改めてそう思った。

経済学の先生が、きちんとまともな議論を戦わせる分にはそれはそれで結構だし、むしろドシドシやってもらいたいと思いますよ。

でも、そこらの「ちょっと知的ぶりたい」軽薄なインテリ・知識人から、仮にも経済学の先生の肩書がある人まで、経済学を自分を都合よく彩るデコレーション・ツールとしてのみ使って、そして一般の善男善女を惑わせてるわけで。

なんでこんな連中のいうことが読まれたり感心されたりするんだ(呆)