ネット○○派 part360 ネット○○派の論理

ネット○○派の論理って、もう面白いぐらいにどれも同じなんです。


ネット右翼を挙げると例えばこういうものの考え方をする。


「自分の国を思うのは当然だ」

「日本人である自分が日本のことを思うのは当然だ」

「日本の国益を害さんとするものに警戒するのは当然だ」

「日本の国益を害さんとする中国韓国を危険視するのは日本人として当然だ」


以下、まあ、だいたいこんな議論ばっかりなわけです。


後はだいたいバリエーションでしかないんだけれども、彼らの一番の問題は、日本人が日本のことを思うのは当然だから、俺が日本のことを思うのは当たり前だし、お前も日本人なら同じように考えるのが当然だ、という理屈でね。


ある人が日本のことを心配してどうこう言おうがそれは勝手。でも、お前も日本人なら同じだろとくるから、だからおかしくなってる。

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ニセ科学批判の理屈はこう。

「科学の知識では、あるものに科学的根拠がないと判断することができる」

「科学的判断は一定の普遍性を有する」

「科学的根拠のないもの、合理性に欠けるものは、科学的判断を尊重するべき現代社会では問題視されて当然だ」

「だから、俺もお前も同じように考えるのが当たり前だ」


・・・と、ま、だいたいこうだ。「間違いを指摘しているだけ」って人もいるけれど、だいたいウソというか、自分がなにを言っているかほとんど分かってない。


もちろん、科学的判断の正誤はそれはそれでいいわけだし、本当に「間違いを指摘している『だけ』」ならまったく無問題であって、そのうえで本人がどう考えよう何を言おうと人の勝手。


だけど、科学的判断には一定の普遍性があるんだから、お前も俺も同じように考えるのが当然だ、現代社会は合理性や科学性を尊ぶならなおのことで、非科学的な言明はできるだけ認めないようにするのが当たり前。だから、お前も俺の意見に賛成するのが当たり前、分からないのは頭が悪いと。


で、これの問題は、科学的判断があるとして、で、それを現実の社会のものとするときに一直線にいかないんだけど、彼らはそう考えないわけだ。


いくら、合理性がある、科学的に正しい判断であっても、現実にはなかなかそういかないことなんて五万とある、たとえそれなりのリスクを含むものであっても現実には存在するのに、そういう要素を拒否する。自分たちが正しいから。


で、一直線にいかないのが分かってるから、だから「人が死ぬ」「詐欺だ」「差別だ」云々と無駄に言葉を重ねるしかなくなって、最後は、


「うるせえ、ニセ科学の問題が分かんねえなら、ガタガタ言わずにすっこんでろ」


と、ネット右翼と同じことを言い出す。

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ようはどっちも同じなんですよ、理屈の仕組みが。


最初にとりあえず、自明に正しいと思われる前提を設定しておいて、そこから話を進めるから、俺の正しい意見をお前も賛同して当たり前、賛同しないお前はバカ、という話に簡単になる。


で、彼らはその自明に正しいと思われる前提や、あるいはその正しい前提からどうやって正しい議論を引っ張りだすかで、すでにこけてるんだけれども、飛躍が分かんなくなってる。何せ彼らは「正しい」んだから。


その、こけた議論を問題視すると、問題視する方が変な人扱いされるからね。もうちゃんちゃらおかしいの。

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だから、ネット○○派を分類するとするならば、共有される自明の前提によってまず分類されるんでしょう。


別のネット○○派ならば、たとえば○○反対運動だと、「表現の自由の侵害は悪だ」が自明の前提で程度を考えない。


リフレ派だと、「デフレは景気にとってマイナス(悪)だ」「金融政策でデフレ脱却しない日銀は悪だ」と、これが自明の前提。


前提がもっともらしければもっともらしいほど、正しい俺にお前も賛同しろ、賛同しないならお前はバカ、と簡単に言える。


その他、ネットで見られるたいていの議論とかでも、ほぼ同じ。○○派対××派で分かれるような議論は、この手の落とし穴にはまっている。

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そう思ってみてると、面白いんですよ。