ネット○○派 part197 「周回遅れ」という言い訳

早川先生の考えが、だいぶ核心に近づいてきてるので面白くなっている。ただね。。。
http://twitter.com/HayakawaYukio/status/27116448027516928

「周回遅れ」「それはすでに何回も議論した」「そのことについて考えてないわけではない」 これらの発言はどれも、答えの本質を短く端的に言い表す能力の欠如、あるいはその意思がないことの表明だと思っていたが、動機がもうひとつあることに気づいた。それは、新規参入を望まない、だ。

前段は全くその通りなんだけど、後段は違うと思う。ニセ科学批判の人たちはむしろ新規参入大歓迎のはず。


「周回遅れ」とか「それはすでに何回も議論した」って言い訳は、ただ面倒くさいというだけではなくて、ようはそこで展開されて結論付けられた「議論」の展開そのものをいちいち検討するのが面倒くさいってことだ。だって、ご当人方にとっては結論が出てるものを、また繰り返す必要はないでしょう?


これ、もっともな言い分でもあるし、ネットにありがちな政治運動にしろ規制反対派にしろ、この面倒くささをよく知っているから「まとめサイト」や「テンプレ」を作って面倒を回避する。ニセ科学批判にも「まとめサイト」はあることはあるけど、さすがにテンプレを作って議論を単純化して宣伝しようという意志を持たない、ようはそれなりのインテリ集団(と自分はインテリだと思いたい人たちの集団)で問題の複雑さは分かっているので、そこまでえげつないことはしないというだけ。「周回遅れ」とか「その議論は済んだ」とか「あれを読め」ってのは、もう十分にものの考え方がテンプレ化しちゃってる証拠なんだよな。


その「まとめサイト」や「テンプレ」が本当に正しいかどうか、もう済んだ議論だとして投げてしまっていいのかどうかは常に怪しむほうがよいというのは、これまたありがちなことであって、「周回遅れの議論に本当になってるの?」という疑問は常に繰り返されるし、そうあるべきでもあると思う。


それをしないとどうなるかというと、「まとめサイト」や「テンプレ」の言い分を正しいと信じるだけになってしまう。理屈をもう一度後追いしたときに、疑問やおかしさを感じるのが面倒くさいので、「周回遅れ」と投げておいて信念を強化しておいたほうが楽。


つまり。「周回遅れ」や「その話はもう済んだ」というもっともらしい言い訳は、ここに及んで自分の信念を批判的に見ないことの言い訳に転化してしまう。


そうなると、結局大事なのは自分の信念になってしまって、つまり、クリティカルシンキングを掲げながら自分の信念にはクリティカルにならないという、ミイラ取りがミイラな話になってしまう。


「周回遅れ」って単語にはそういう意味合いもあると僕は思う。