ネット○○派 part201 立場そのものの相対性に気がつかないニセ科学批判

早川先生のツイート、ホントその通りで、そういうことにしかならないんですよと。
http://twitter.com/HayakawaYukio/status/28267660802269184

批判の対象にするものとしないものを重役が(恣意あるいは思惑で)決めて、社員はそれに従順にしたがって活動を展開しているようにみえる。重役決定への懐疑的な姿勢は社員にみられない。

http://twitter.com/HayakawaYukio/status/28268962055716864

ニセ科学はなぜいけないのか。ニセ科学だとほんとうにいえるか。科学を詐称しているとほんとうにいえるか。こういった根源的疑問には触らないことになっている。

・・・ということです。ホメオパシーの扱いでこのあたりが特に際立ってた。もちろん、ご当人方はそれなりに考えたつもりになってるんだろうけれど、簡単に「周回遅れ」と宣言するわりに実際はそうでもないというのが実態です。


で、これって何かというと、藤本由香里さんや山口貴士弁護士やといった人たちの言うことならホイホイ信じて、無理から理屈を作って自己正当化してた条例改正反対派と、全く同じ。彼らも、煽り手の言うことに全く疑問を感じないのですよね。


違うのは、ホント、ネット○○派に属する人たちの教養、ただそれだけの問題。

価値次元相対主義によるニセ科学批判批判 : 社会学玄論

というのは、ニセ科学批判は、科学的事実に反する要素が少しでも含まれていると、科学以外の社会的領域であっても、平気で全否定するからである。

という断定は極端だけれど、基本的にそういう部分がある。平気で越境する。で、越境した部分についての判断は「社会人として」と言って是認してしまう。そこで科学の問題とごっちゃにするからおかしくなるということが分かってない。

 科学的価値による社会領域の支配こそが、ニセ科学批判という社会現象の本質であり、これは同時に社会病理でもある。
 価値次元相対主義に基づくと、科学的価値も他の社会領域の価値も同等であり、争うことなく、平和に相対化されるべきなのである。科学的事実を絶対化する価値次元絶対主義こそがニセ科学批判の本質であり、他の社会的領域を支配しようとしているわけである。

まあ、前から言ってるけど、だから「ニセ科学批判って全体主義(笑)か」と。

・・・

いや、結局、合理主義者懐疑主義者の立場を貫くなら、それはそれでよいわけですよ。そういう立場はある。


でも、その立場それ自体は相対的なものでしかないわけで、別の立場は普通にとりえます。と言って、ホメオパシープラセボではないと言うつもりもないので、科学に基づく判断そのものを相対化しているわけでもない。この辺で混同してる。


これが、ウヨサヨの政治問題なら立場の相対性は明確だし誰の目にも明らかなんだけど、中途半端に科学を表明してしまっているので、価値中立だのなんだの言ってるとニセ科学批判という「立場」それ自体は相対的だということが分かりにくくなってしまう。


その上で、ニセ科学批判の主張は全く一貫していないし、そもそも批判対象となるものの選択が恣意的にすぎて、ダブルスタンダードもいいところなので、話にならない。この辺はもうしつこく書いた。


で、なんでこんなことになるかというと、単純に政治でしょ。支持者を幅広く集めたい、政治的には右からも左からもと欲を出す。


日本の土壌では古典的な合理主義で徹底すると広い支持を得るのが難しい。だから、「実害」を強調したり、「ウソはよくない」の世間の道徳に過剰に依存するしかなくなってしまう。あと、菊池先生の「キャラ」で相当得してるね。早川先生のあの放言キャラならボロクソ叩いてるくせに、という部分がある。


・・・ホメオパシー叩きなんかでも、言ってることは日本も外国も似てるかもしれないけど、全く違うだろうというのはそこのところで、海外の懐疑主義者たちはその辺、基本的に徹底してるので宗教まで問題視する。そもそも、ホメオパシーなんかは根付き方が日本とは全然違うのにそういう「敵」を相手にしているわけ。もう、なんというの、表面的には同じでも、全く違うものだ。


それでもなお、僕は海外のSkepticたちにあまり共感することがないんだけれども、日本のニセ科学批判はもう全然ってところで。