ニセ科学批判のニセ科学化現象 : 社会学玄論
もっと別の方向かと思ったら全然違った。

ちなみに、死後の世界について、科学者の態度としては、「私の仕事の専門外なので答えることができない。(お坊さんや神父さんに聞いてみて下さい。)」というのが正しく、「科学の立場からは、死後の世界や霊魂は存在しない。」と答えるのは、不適切である。科学者は、死後の世界という科学の対象外の分野については、語ることはできないわけである。

これは全くそう。


ところが厄介なのは、日本のニセ科学批判はオカルト批判とか霊感商法批判が発端の一つで(菊池先生をみてもオウム事件が絡んでるわけで)、怪力乱神を語らずといった態度にどうしても抑制できないんだよね。

 昨今のニセ科学批判者たちが科学教だと思われてしまう理由は、科学の対象外についてまで言及しているからである。宗教やスピリチュアルが扱う領域の真理を科学的判断から真偽を吟味することで、かえって自らが宗教化・カルト化し、ニセ科学化しているのである。

こういう意味だと、「ニセ科学化」ではなくて「非科学化」とでも言った方がより適切かもしれないな。。。前にも書いたように、アメリカみたいな宗教大国でこれをやるのはそれなりの意味があるのかもしれないけど、日本で真似しても仕方がないみたいな部分がある。仮に真似するとしても、元々宗教意識が薄い日本の一般人に「宗教なのはどっちだよ」みたいな見方しかされなくなるのは当然の帰結だ。


だからこそ仮想敵に霊感商法やオカルトを持ってくるしかないんだけど、そうなると社会問題の次元になって科学の問題としては淡々と事実を語るしかなくなるのが本当のはずとは、これまで書いてきたとおり。だけど、実際はその一線を平気で越えて顧みない。


さらに仮想敵のくだらなさを認めてしまうと自分たちのやってることがくだらなくなるので、仮想敵がいかに危険か現実社会にとって有害かを強調する。悪循環だよな。


たぶん、こういう傾向は「昨今」のものでなくて、もともとからあったんだと思う。時がたつにつれて過激になった連中が増えたってだけで。ネットにとどまったままでリアルに結果として反映されないから、中毒を起こしやすいんだよな。これはネット右翼とかサヨクの連中も同じで、ちょっと前に比べてどんどん過激になってて、以前過激に見えたのが今はそれほどでもなく見えるってことが珍しくない。


ここで、まともなニセ科学批判の人は穏健な相対主義を弁えてるから安心できるって、本当に言いきってしまえるのかというと、それが疑わしいんだ。もし本当にそうなら、ニセ科学批判の仲間内で切り捨てていかなきゃいけない人って一杯いると思うんだけど、実際はそうなってないでしょ。むしろ逆で、きついことを言った方がうけたりするし、仲間内で守りに入るし。


こういったこともろもろがまた、「お前は科学教か」みたいなことになってしまうわけで。残念なんだよね。


ちなみに、ニセ科学批判のニセ科学化と聞いて予想したのは、これと違った。ニセ科学を信じる人は信じる対象の正しさを確信して、その上でいろいろ屁理屈をこねるんだけども、ニセ科学批判の人たちも同じように自分の正しさを確信してて(そして、その正しさの確信には間違いない裏付けがあるので余計に確信できて)、その上でいろいろ屁理屈をこねているという意味において、両者はよく似てるなあと思っている。ニセ科学批判の人たちの自己正当化力というのは本当に強烈で、ま、科学教と言われても仕方がないね。