ネット○○派 part51 ネット民の心性の問題

社会学玄論がダメな理由―相対主義の怖い罠 : 情報学ブログ

たしかに、大槻義彦あたりは、この一線を越えている面があり、そのためにニセ科学批判が低レベルのものだと見られていた時代もありました。しかし、菊池誠氏がこの点に関して根本的に間違っているとは思いません。過去の発言の中に「一線を越えてしまった」ものがあるという批判もあるようですが、少なくとも大部分はそうではないと思います。菊池氏がフォロワーを増やしているのは、このあたりの「謙虚さ」によるものだと理解しています。だから、私は一連の記事でもニセ科学批判の主流の人たちを批判せず、ネットで集団的熱狂に陥っている人の一部が「一線を超えている」ということだけを批判しました。社会学玄論では、こういった人たちが一緒くたに批判されているように思えます。

やっぱり認識が甘い。


菊池先生の「謙虚さ」というのはかなり見かけ成分があってね。だから、見かけをはずして話の筋を追わないと、「優先順位問題」をうっかり信用するってなことになりかねない。「ニセ科学は社会の病理」だと賛同したのもそう。ホメオパシーを否定しながら、鍼は歴史があるから研究の価値があると言ってしまう都合のよさもそう。見かけを取り除いてみないと分からないことがあって、おかしなことを言ってたりします。


そもそも今みたいな「熱狂」状態って、ニセ科学批判派の人たちからは、むしろ「ホメオパシーの問題が広く認識されることはいいことだ」程度にしか考えられてない。菊池先生もそんなもんでしょう。


さてこれに対する論宅さんの応答。
情報学ブログさんへ(若干の回答) : 社会学玄論

多くのニセ科学批判者は、宗教、占い、オカルトなどニセ科学でない領域まで批判する。菊池氏にこそその本質が伺える。菊池氏は、江原氏のスピリチュアルを批判している。科学的事実のみが正しいという科学原理主義の発想をとらないと、このような領域侵犯は起こらない。また他者を強く批判し、他人のブログに侵入してくるなど、絶対的な自信がないとできないことである。ニセ科学批判を布教するコミュニケーション形式から判断して、科学原理主義者である。菊池氏には、メタな視点はないと考える。

ニセ科学批判の建前は科学分野に限定することになっているので、僕もその建前に一応従って悪口をかいている。


実際、最近「パワースポット流行り」の新聞記事がホットエントリになったときもニセ科学批判派のはてなーがこの流行を叩いていた様子は、あんまりなかったと思う。明らかに、そこは一線を引いている。たぶん、オカルト批判するにしてもニセ科学批判とは一応分けているのではと思う。UFOネタとか、扱い軽いですしね。


だから、ニセ科学批判派の人たちに「お前たちは科学教だ、原理主義者だ」と言っても届かない。本人たちはそれなりに相対化させてるつもりだから。


そこで妥協を出来なくさせているのは「害のないものの害」「人が死んでる」「ウソはよくない」という世間の道徳で、だから「悪いものを悪いと言ってなにが悪い」となる。世間の道徳と科学と、双方の正しさをリンクさせてるから、おかしいと気がつかない。つまり、科学方面では少なくとも建前上はそれなりに限定しているつもりであっても、「悪いものは悪い」という世間の道徳が自己正当化させてるし、また世間の道徳を「科学的に間違ってるから」という一言がアシストできる形になっている。絶対負けない理屈になっているので、引っかかる人はそりゃ容易に引っかかる。


こういうの、やっぱり科学原理主義だけでは不足で、どうせいうなら「正論原理主義」のほうだと思う。あるいは「正しさに酔っ払う人たち」。


追記:領域侵犯そのものは、疑似科学批判とか懐疑論者とかいうのはそういうものなので、それはそれで立場としてあると僕は思う。ただ、ニセ科学批判の場合は「科学の分野に限定する」という建前を言ってしまうと、そもそもこの建前に信頼性があるかという問題と、もっともらしい建前で素人を釣っているではないかという問題がある。そのへんはイタリアのCICAPもそうで、科学の立場から疑問を呈してるだけだといいながらトリノの聖骸布の模造をやるんだから、建前に説得力がなくなってしまうわけだ)


ニセ科学批判の問題は、相対主義原理主義だのの問題というよりも(それが全くないとは言わないけれど)、「正論」を掲げて気に食わないものを叩くというネット民の心性のほうに問題があるように見える。新聞記者の正義感を疑わないというのは非常に象徴的だし、こういうことはネット右翼やはてサと共通の、大きく言えば日本人の心性のある一面なんじゃないかな、と思う。


しかし、、、科学主義や相対主義の議論にしてしまうこと自体、すでにニセ科学批判に釣られてるわけでね。もうちょっと普通にニセ科学批判はおかしいと言えるはずだと僕は思う。ニセ科学批判、恐るべし。