ネット○○派 part374 グレーゾーン問題は無意味

科学と疑似科学の境界線は恣意的である。 : 社会学玄論

 しかし、ニセ科学批判の本質が科学主義を利用した通俗道徳主義であるという私の分析は、いまや多くのニセ科学批判批判者たちが共有している認識であり、社会学的にも正しいと考えられる。社会運動論的には、菊池派のニセ科学批判は科学主義と通俗道徳という二重構造をもつことで、議論に負けない正論となっており、その正論にのっかりたがるネット論客たちが菊池氏のもとに参集し、現在のニセ科学批判クラスタが生成した。正論に安住してネット議論できるニセ科学批判という思想は、ネット議論好きの人たちが寄生するネット思想として急速に流布していき、彼らの自尊心の拠り所となった。

ということで、ここは私も全く同感です。「正しい議論」に乗っかりたがるネット民たちの格好のネタになった。

・・・

グレーゾーン問題に関してももうさんざん書いたので繰り返さないけれど、あれもうまく自分たちの立場を正当化させるのに使われてるだけでね。


第一に、「単純な善悪二元論は取らない」といいながら「真っ黒」だけ叩くのは、本当に「単純な二元論」と言えないのか。たぶん言える。


第二に、ホメオパシーは叩いて漢方・鍼は許容する、任天堂DSは許容してゲーム脳は叩くといったあからさまなダブルスタンダードを「グレーゾーン」問題としてごまかせる。つまり批判対象の選択にまつわる恣意性を糊塗している。


第三に、そもそもニセ科学批判のグレーゾーン問題というのは、何が科学で何が科学でないかの線引きの問題「ではない」という点で、ここが一番問題。


ニセ科学批判の批判対象というのは、単に科学の問題じゃなくて、「人が死ぬ」「詐欺だ」「ウソはよくないに決まってる」などの道徳に反するので問題だということになっとるわけです。つまり、「真っ黒」なのは倫理的に問題だから「真っ黒」なのであって、何が科学で何が科学出ないかの線引きをしているわけでは全くない。


にもかかわらず、「グレーゾーン問題」という名前を与えてやることで、あたかも科学の問題であるかのように論じることができる。。。本当は違うのに。

・・・

あとは付け足しだけれども、こうなると「トンデモ」みたいなレッテルがいかに簡単に張り付けられるようになってるかという問題で、これはニセ科学批判だけじゃない。


本当に「トンデモ」かどうかをちゃんと検討しなきゃならないのに、そういうことをせずに「トンデモ」と言いさえすれば、批判対象が「トンデモ」を言っているような気になるという、そこが問題だと思う。


いや、だからね。ニセ科学批判って本当にろくなことやってないと思うわけですよ。自分たちの見かけの正論に居座って、自分たちが「トンデモ」「ニセ科学」とレッテルを貼られて叩かれることは絶対にないと信じているから、今みたいなことをできるけれど、もし彼らが「トンデモ」扱いされて、ニセ科学批判と同じように叩かれたらどうするのか。


あたしゃそこを見てみたい。

追記
強制するつもりはないが、ニセ科学批判まとめWikiってのは本当に消した方がいい。あれは単にツッコミの種を増やすだけだから、ニセ科学批判から手を引いてるなら消した方がいいよ。余計なお世話なのは承知だけどね。