日本語の「懐疑論」ってちょっと変

[書評]IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実(村上宣寛): 極東ブログ
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georgew すごい読みにくい書評。 2010/03/14

爺がニセ科学批判を市民運動視して直接的にあれこれ言うのはやめてからというもの、邪魔したくないとかなんとかぼやきつつ、懲りずにネチネチとイヤミを言い続けてるのが面白い。で、この記事も、ニセ科学批判へのイヤミを言いたいってのが一つある。それだけではないにせよ。

記事を読むと、

焦点が当てられているのは、「キャテル-ホーン-キャロルの知能理論(CHC)」、日本でも偽科学批判などで有名なガードナー(Martin Gardner)による多重知能理論、スタンバーグ(Robert Sternberg)の三頭理論である。村上氏は、CHCを評価しつつ、スタンバーグの三頭理論に実践的な観点から関心を持っているようだが、書籍の説明として面白いのはガードナー説についてである。

ときて、ガードナーの実証手続きが杜撰だという部分を引用した後に、

どことなく偽科学批判者にありがちな典型パターンのようにも思えるのも、ガードナー氏の主張が暗黙裡に研究に先行しているからかもしれない。

 別の視点からうがった見方をすると、一般知能gの存在を否定したいがタメの理論として科学を装っているのかもしれない。

Pseudoscience批判の人がPseudoscienceやっとるやんけ、というイヤミ。疑似科学批判のガードナーが本当にこんな研究までやってるのかあたしにはよく分からないけど、そこはこの際どうでもよろしい。イヤミのほうが大事である。


追記:今見ると、ガードナー間違いで訂正されてる。やっぱりな。でも、このイヤミは面白かったので、この部分は残しておこう。悪意はないけれどね)


(再追記
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ublftbo アチャー。「よくわからないけど」じゃないですよ。/ 修正前の文を引用してくれてありがとう、という感じもするけどね。あの人は基本、修正履歴残さないから。単に名前間違えた訳じゃないからね。 2010/03/15

ああ、通じない、という感じ。大事なのは爺が、ガードナー→なら、あれだ!と勘違いしたことが面白いんですよね。で、「よくわからない」でスルーしたのは、この勘違いそのものより、爺の問題意識のほうがずっとおもしろいからだし、かつこのエントリでは話の枕に持ってきただけで。ほんまにこんな研究をあのガードナーがしたのかいなとちょっとググってはみたけど、なさそうだったし。ま、どうでもいいんですよ、この勘違いの部分については)



で、日本のWikipediaのガードナーの項目がひどくて、もっぱら疑似科学批判と懐疑論がどうのだけで、なんでガードナーが疑似科学批判をやってるか、書いてない。
マーティン・ガードナー - Wikipedia


英語版のほうは書いてる。
Martin Gardner - Wikipedia

Gardner has had an abiding fascination in religious belief. He is a theist and professes belief in God, although he is critical of organized religion. He has been quoted as saying that he regards parapsychology and other research into the paranormal as tantamount to "tempting God" and seeking "signs and wonders".

よく知られた、CSICOP批判のHansen論文にもガードナーについて触れられていて。
CSICOP and the Skeptics: An Overview by George P. Hansen

Martin Gardner also acknowledged the influence of his religious beliefs, and he revealed that he once was a Protestant fundamentalist (Barcellos, 1979; Morris, 1982). Apparently his opposition to parapsychology is based in part on religious factors, for he has written:

It is possible that paranormal forces not yet established may allow prayers to influence the material world, and I certainly am not saying this possibility should be ruled out. . . . As for empirical tests of the power of God to answer prayer, I am among those theists who, in the spirit of Jesus’ remark that only the faithless look for signs, consider such tests both futile and blasphemous. . . . Let us not tempt God. (Gardner, 1983b, p. 239)

つまり、超常現象の裏に神の実在を見るようなことはやめてくれ、大事なのは信じることだろうに、という意味で疑似科学批判をやってるので、彼自身は信心深いわけだ。さらにHansenはしつこく追及して、引用文の直後にイヤミを書いてる。

Recently, Gardner (1991) argued that electronics writer Forrest Mims was rightfully denied a position as a columnist for Scientific American because Mims was an evangelical Christian creationist, even though Scientific American admitted that Mims was otherwise well qualified and that his writings would have had nothing to do with evolution (see “Science’s Litmus Test,” 1991).14 Gardner asserted that Mims’ personal beliefs would have embarrassed the magazine, and that alone was sufficient reason to reject Mims.

近頃ガードナーが論ずるに、エレクトロニクス・ライターのMimsはサイエンティフィック・アメリカン誌のコラムニストとしてふさわしくないとして、その理由が単に“evangelical Christian creationist”だからってだけだった。実際はサイエンティフィック・アメリカンはMimsをコラムニストとして認めてるし、彼の書きものも進化論とは関係がない。それでもなお、Mimsの個人的信条がこの雑誌を汚しかねないと言った。。。ってんでしょう?たいしたもんだ。宗教戦争をこんなところでやってどうすんだ、ということで、

One can only conclude that issues of religious belief are important in the life of Martin Gardner.

ってなイヤミを言われるのももっともな話。



日本のニセ科学批判ってこういう要素がバッサリ切り落とされて、日本流に改変されてしまっている。


それはまだいいとしても、次に日本からアメリカを見たときに、やっぱり日本流の考えのまま見とりゃせんか、ひょっとすると。


横文字の“Skepticism”とか“Skeptic”とかって、日本語の「懐疑論」「懐疑論者」って漢字で見るのと、イメージが全然違う。日本で一般的に語られそうな「懐疑論」ってどうも「科学の手続き問題」に近いようなイメージがあるみたいなんだけど、横文字になるとたいてい無神論者を兼ねていて、宗教ネタに妙に攻撃的だったりする。ガードナーみたいなのは少数派で。いずれにせよ、宗教絡みで読まないと理解できないようになってる。だから、こういう一文は素直に読んじゃいけないんだな。
科学的懐疑主義 - Wikipedia

the Skeptics Societyは次のように科学的懐疑主義を説明する。

一部の人々は懐疑主義が新しいアイディアを拒絶することだと考えている。さらに悪いことに彼らは「懐疑主義者」を「皮肉屋」と混同して、懐疑主義者は定説に異を唱えるあらゆる主張を拒否する気むずかしいひねくれ者であると考える。それは誤りだ。懐疑主義は主張への暫定的なアプローチである。それはあらゆる全ての主張への理性、判断、分別の応用である。神聖不可侵なものなどない。言い換えると、懐疑主義は方法論であって立場ではない。(後略)

でも実際には“Skeptic”というのは、十分に立場の表明になってるし。それに単に科学の手続き・方法の問題に過ぎないのであれば、当たり前すぎて改めて言明する必然性がない。だから、この説明はすごく“Skeptics”に都合よく書かれてるわけで、ホントは注意しなきゃならない。そこが分からないと、

懐疑主義者がしばしば批評の対象とするのは心霊主義超心理学ダウジング占星術ホメオパシー、タロット占い、エイリアンによる誘拐、超能力などが含まれる。

ということになるのもわからないんじゃないの。


なんか、日本のニセ科学批判ってわざとこういう要素を切り落とすことで、人々にすごい誤解を与えているようにしかあたしには思えないんだが。ホントにそれでいいのかね。