妄想:人権擁護法案反対運動とはなんだったのか あるいは政治運動のためのネットの宣伝・動員について

これはもう全くの妄想。自分でも妄想だと思っているので、どこかに書いたかもしれないし、このブログでも書いたかもしれないが、あまり大っぴらには書いてこなかったはずだと思います。

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繰り返しになるけれども、ニセ科学批判やリフレ派などのネット上の運動を批判的に見るようになったのは、ネット右翼の問題が発端で、さらに言えば人権擁護法案反対運動に対する批判を続けているうちにネット右翼に注目することになったのです。

ただ、ネット右翼のようなネット上の運動をダイレクトに扱うのは、このブログの当初の時点ではやや飽きており、また多少静かにやりたかったので、したがってあまり政治性は明確ではない(が、本当は政治的な)ニセ科学批判にまず手を付けた、というわけです。そのため、より明確に政治的な運動であるリフレ派に対する批判をするのはかなり後になってからで、相当慎重にやり始めました。

では、人権擁護法案反対運動とはなんだったのか、明確にはよく分かりません。

一つ言えるのは、ネット上でしばしば語られた人権擁護法案の「危険性」なるものは、ほとんど根も葉もないウソであって、その点についてかなり指摘があったにもかかわらず、いまだに「危険性」を信じる人が減らない、ということです。

つまり、当時としてはそれだけ強烈な宣伝をやったために、10年たってもまだ影響があると言ってもかまいません。

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当時、人権擁護法案反対運動とはなんなのか、自分なりに調べていたわけですが、一番最初の発端は2ちゃんねるのはずです。無茶苦茶な解釈の書き込みがあってそれが拡散した。

人権擁護法の「危険性」を知らせるために、「サルでも分かる」の類のまとめやテンプレが作られ、これが「分かりやすいまとめ」と言って出回り、さらに動画がたくさん作られました。

そこでネット上の反対運動が過熱し、これがリアルの運動へと転換していきます。集会には平沼赳夫といった保守派の重鎮が出てきたり、また保守派論壇の人々が次々に出てきました。さらには、当時は小泉政権下、安倍さんはまだ「保守派のプリンス」で、人権擁護法案に反対の姿勢をちらりと示して盛り上がる、といった場面もありました。

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ここからが妄想ですが、人権擁護法案反対運動とは何だったのかよく分からないというのは、一連の出来事がとても自然発生的なものとは思えなかったからです。たとえば、動画一つとっても、ネットで言う「才能の無駄遣い」で作られたものばかりとはとても思えなかったわけです。

そもそもの発端、いちばん最初の最初から意図的にデマを飛ばしたのかどうかは分かりません。しかし、ネットで火がついてから、これを意図的に扇動してリアルの政治運動にまでもっていこうとした、もっていった人間なり組織なりがあるんではないか。ネット上に転がっていた「ネタ」を政治的に利用した人たちがいるのではないか。

はっきり言ってしまえば、2ちゃんねるから始まった人権擁護法案反対運動というのは、自民党の保守派、それもかなり右の人たちがネットを利用して支持者を増やそうとした、動員をかけようとした、ある種の実験・試みだったのではないか、という疑いを、私は持っています。

もちろん、根拠はありません。自分でもこれは陰謀論にすぎないという自覚をもっているし、そういう自覚をしておくべきだと思っています。

しかしながら、一連の流れを子細に見ると、そういう解釈がもっとも合理的なものとして浮かんでくるのであって、そういう疑いを持つことそれ自体は合理性がないとは言えない。

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この話を広げると、そもそもネットの問題や危険性に触れざるを得なくなります。

一つは、ネット上の徒党や運動体の問題で、仮にそのような意図的な扇動がないとしても、ニセ科学批判に見られるように無茶苦茶なことになってしまうわけで、これはいったい何なのかと。個人的には洗脳の問題なのではないかと思っています。洗脳の装置としてのネットの問題は、もうちょっと語られてもいい。

もう一つは、ネットにおける意図的な扇動の問題です。

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人権擁護法案反対運動で語られたのは、人権擁護法の単なる「危険性」だけではありません。これにあわせて、マイノリティ差別や外国人差別など、在特会が主張してもおかしくないような言説がセットで語られていました。もちろん、ネット右翼とも親和性が高いものです。

かりにこのような主張を信用しない人でも、相当の印象操作というのは可能となってしまうのであって、だからこそ「人権擁護法案は危険だ」とうっかり信じてしまった人が多かったわけです。うすら右翼と言ってもいいかもしれない。

人権擁護法案だけならまだしも、政治上の問題でより合理的な解決を拒んでいる一つの要因は、人権擁護法案反対運動とセットで語られた言説そのものにあったりします。その典型的なものが靖国神社の問題だと言っていいでしょう

人権擁護法案反対運動と結びついた自民党のかなり右の保守派は、もちろん靖国神社と強いつながりを持っています。そのために彼らは靖国の問題を合理的に考えることがそもそもできないわけですが、上記の印象操作を相対的に見ることができない場合、普通にものを考えられる人でも、靖国神社の話になると合理性が全く欠如する、ということが非常に多い。

この種の宣伝にどう対抗するかというのは相当に難しい問題であって、おそらくほとんど不可能です。

当時、人権擁護法案反対運動の主張の荒唐無稽ぶりはかなり批判されたにもかかわらず、しかし依然として影響力を保っている以上、「カウンターに失敗した」と言っても間違いないわけです。在特会並の言説がもちろんセットになっていたのに。

さらに、そこまで影響を受けなくても、印象操作に引っかかるレベルであれば、扇動されている自覚はきわめて持ちにくいものであって、修正はまず無理です。保守派の印象操作を相対的・批判的にみられない、まさに「空気」に染まってしまっているわけで、ではどうすればいいんでしょうか。

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この辺で妄想も限界になるのでもうやめますが、しかし、こういう疑いを前提にして、このブログを長々と書き続けてきた、ということは理解してもらえると思うし、今現在、問題になっていることについても、多少の論証を妄想に与えてくれているのではないかと思っています。

とはいえ、まあ、妄想ですけどね。