ヘイトスピーチは日本の一般大衆の意識の低さの問題だ:安易に海外誌を持ち出して政権批判のネタに利用する愚

海外誌で、在特会や在日差別など、日本におけるヘイトスピーチの氾濫は、安倍政権の影響があるんじゃないか、という記事が出て、それが盛んに紹介された。たとえばこれだ。

Spin and substance - Hate speech in Japan

記事の最後のほうに、ネット上でも内閣改造時から指摘されてきた、女性大臣たちの右翼ぶりに触れられている。

しかし、記事の大部分は一水会鈴木邦男の見解をまとめたものであって、たとえば、

But, says Mr Suzuki of Issuikai, the return of Mr Abe to office in 2012 also has something to do with it. The nationalist prime minister and his allies have been mealy-mouthed in condemning hate speech.

2012年の第二次安倍内閣の成立の影響で、日本におけるヘイトスピーチの扱いが甘くなってるのでは、と鈴木は言っているようだ。

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この種の記事や見解が、Twitter などで盛んに回覧されているわけだが、これに私は大きな疑問を提示しておきたい。

というのも、問題にされているような言説は、安倍政権とはとくに関係なく、常に存在していたことを、私は知っているからだ。それは、ネット右翼に対する批判を約10年前から行っているからというだけではなくて、リアルを振り返っても、在日差別などの人種差別に対する一般の日本人の感覚と認識は極めて甘いものだ、ということを知っているからだ。

立派な年齢の中年女性や高齢の老人男性が、ネトウヨまがいのことを平気な顔で言う、という場面に遭遇することは、日本で生活していれば一度や二度のことではなく、そしてそれは今に始まった話でもなんでもない。ずっと以前からそんなものだった。

もし、仮に安倍政権の影響があるとするならば、民主党政権の時代、日本ではその種のことをいう人が少なかったか、というと、決してそんなことはなかった。

一般の日本人は、今も昔も大して変りなく、特に悪びれた様子も見せず、せっせと人種差別にいそしんできたのである。

・・・とまで言うと言い過ぎかもしれないが、しかしながらヘイトスピーチの温床は中央の政治の問題というよりも、一般の人たちの意識の問題のほうが大きく、これは非常に根深い、ということは言っても構わないと思う。

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さらに、そもそも論として、問題視されているような右翼大臣・右翼総理の存在は、立派に民意の反映だ、ということも指摘しておきたい。総理大臣は、正当に選挙された国会議員であり、大臣はその総理によって選ばれた人物が任命されていて、民主的なコントロールの結果こうなっているのである。

中央の政治が悪いだけではない。そもそも、その程度の人物を選び続けてきた、日本の選挙民の意識が低すぎることの問題を指摘するのが本当ではないか。

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私はそのように考えるので、一般の日本人の意識の低さに触れず、人種差別や排外主義の問題をただ右派政治家の責任に帰するかのような議論は、無責任に過ぎるように見える。

あるいは、このような極めて深刻な問題を、政権批判のネタに利用したいだけではないのか、とも見える。そういうことであるならば、問題の深刻さに比してあまりに不真面目な態度だ、と非常に腹立たしく思う。

さらに、「国際的に有名な海外誌にこのように思われている」と言って、外からの目を言い立てるのはどうなのか。高級紙高級誌だからと言って、日本のことをいつも正確に伝えるというわけではないのは、東北大震災以後の報道で日本でも広く知られたところではなかったか。むしろ強いバイアスと無理解に基づいた記事が普通に書かれ報道されるのが常だ、と言っても過言ではない。

おかしな理解に基づいた報道があれば、堂々と反論するべきだ。

私であれば、上の The Economist 誌の記事に対して次のようにいうだろう。

「あのなあ、あんたがたはいっつも偉そうに、分かったようにおっしゃるけれど、その理解は違うよ。安倍内閣がどうこうという問題じゃないの。日本人は一般的に自分たちの人種差別体質に全く無自覚で、それが現在のヘイトスピーチの根になってるのよ。つまり、在特会みたいなのは過激だけれど、あれに近い意見・感覚を持っている日本人は、学歴や社会的地位にかかわらず、一般的に非常に広く存在していて、それが差別やヘイトスピーチの温床になっているし、政治家の不見識を許容している原因でもある。

そういう問題をもっと強く認識してくれないとダメだと思うよ」

追記
これに関連して、hamachan 先生の次の指摘は重いものであるので、引用しておきたい。
ヘイトスピーチ対策というのなら人権擁護法案を出し直したら?: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

そもそも、小泉内閣時代に、ヘイトスピーチだけでなく雇用におけるを含む差別・嫌がらせ全般について、また人種・民族だけでなく信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向と広く対象にした人権擁護法案をちゃんと出していたのですから、それをそのまま出し直せば十分通用するのではないかと思いますが。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo140725.html

・・・実は、2002年に当時の小泉内閣から国会に提出された人権擁護法案が成立していれば、そこに「人種、民族」が含まれることから、この条約に対応する国内法と説明することができたはずですが、残念ながらそうなっていません。
 このときは特にメディア規制関係の規定をめぐって、報道の自由や取材の自由を侵すとしてマスコミや野党が反対し、このためしばらく継続審議とされましたが、2003年10月の衆議院解散で廃案となってしまいました。この時期は与党の自由民主党公明党が賛成で、野党の民主党社会民主党共産党が反対していたということは、歴史的事実として記憶にとどめられてしかるべきでしょう。
 その後2005年には、メディア規制関係の規定を凍結するということで政府与党は再度法案を国会に提出しようとしましたが、今度は自由民主党内から反対論が噴出しました。推進派の古賀誠氏に対して反対派の平沼赳夫氏らが猛反発し、党執行部は同年7月に法案提出を断念しました。このとき、右派メディアや右派言論人は、「人権侵害」の定義が曖昧であること、人権擁護委員に国籍要件がないことを挙げて批判を繰り返しました。

私は、05年の人権擁護法案反対運動の愚劣ぶりに抵抗したものの一人であるが、その前には左派が人権擁護法案に反対したという事実は極めて重いものだ。

つまりこれは、日本人は一般的にこの種の問題に対する意識も自覚も低いということの表れであり、優先順位の低い問題として扱われ続けてきたのも当然と言うべきだ。まして、今頃になって左派が右派の批判をする権利があるものとはとても思われない。

どのツラ下げて批判するんだ、どの口がそれを言ってんだ、と言いたくなるのは全くの道理なのである。