ネット○○派 part159 

田中秀臣先生がきれいにまとめてた。
2010-12-13

ここでは河合幹雄氏のマンガ規制についての論説を紹介。

まず冒頭で、6月の否決を促した条例反対運動の特徴がまとめられている。それは従来のマンガ家や既得権者たちだけではない広範なネット中心の運動というものである

人権擁護法案反対運動ってのが昔ありまして(以下略)。

 いままでは警察の検挙の仕方や有害指定の在り方も、歯止めをはかりながらも業界への経済的ダメージを避ける巧妙さがあったが、今回の三月の条例案は、なにもかもすべてやってしまえ、という乱暴なものであった。

何を根拠に。ってか、今までの審議会の議事録って読んではらへんのかな。

 第二点は、簡単にいうと、国レベルでも都レベルでも、前田雅英氏と後藤啓二氏の関与が大きいという指摘である。

 このイメージの拡大は政府や関係機関が行う世論調査が恣意的なもの(=誘導的なもの)となることで、世論がますますミスリードされていったと河合は指摘する。例えば、「「実在しない子どもの性行為などを描いたマンガや絵の規制について」「規制対象とすべき」ですか? と口頭で尋ねられれば、「ハイ」と答えるのは当たり前である」という。そうだろう。アンケートの主題自体があらかじめ多数がなんであるか指示している。

この手の陰謀論はもういいです。内閣府の例の世論調査が「恣意的だ」と断ずる根拠ってなんなんでしょうかね。あるいは、全く恣意的でない、すばらしく客観的な世論調査ってなんでしょうね。


もっとも、少年犯罪の理解がどうかというのは、よく分からない。でも、現実に出てきた条例がこの程度にしかなってない。

 河合は警察のかかわりもふれている。特に12月条例がもし可決されれば、その適用は警察のさじ加減の余地の拡大を招く。例えば条例改正案には、「漫画、アニメーションその他の画像で、刑罰法規に触れる性行為」(7条の2)がある。これは刑罰法規には、刑法典だけでなく条例も含まれる。淫行条例まで含み、「しかがって、高校生同士の合意に基づく性行為さえ対象とされ、中高生を主人公にした漫画の場合、性体験を肯定的に描くと規制対象となる恐れがある。これでは作品が委縮してしまう」。

「不当に賛美又は誇張」されてなければならない。第七条は強制力がない努力義務規定。第九条の「表示図書」も基本的には業界の自主規制の問題。


河合先生のブログでも巧妙にわざと略しているけれど、指定図書は第七条の二のうち、「著しく」社会規範に反するような性交・性交類似行為を「著しく」不当に賛美又は誇張されてなきゃいけない。。。こんなもので作品が萎縮するとかどういう考えで言えるのかわけがわからない。

基本的に、河合氏の論説はなぜ現状の規制にさらに規制を重ねるか、その実証的な根拠がなく、規制派がイメージだけで規制をするように運動していることを問題視している。僕も賛成である。

理由の一つは対外的な目があるというのは、このブログで繰り返し書いてきた。もちろん、世論の支持もある。ただ、旧条例でも対応可能だという意見は十分理解できるのだけど、解釈を変えることで対象範囲を広げることのほうがかえって怖いのではないかと思う。それに、そもそも規制反対派も「イメージ」だけで反対運動をしているので、どうにもならないという事も繰り返し書いた。

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表現の萎縮論がちゃんちゃらおかしいのは、出版編集の自主規制・自主検閲が明らかに過剰で、少年漫画の主人公がタバコをすえない、「殺す」はだめだけど「やってしまう」はかまわないなど、意味不明の自主検閲を現実にやっていて、この条例での「表現の萎縮」を云々できるのか、はなはだ疑問。自主規制の名目で表現を萎縮させてるのは一体誰なのか。


別に、権力は安全だ、安心してすべて任せろと言うつもりはさらさらないが。。。
http://b.hatena.ne.jp/sasahira/20101214#bookmark-27297788

sasahira 青少年健全育成条例, 表現 「出版社の過剰な自主規制」放送業界も音楽業界もそうだった。

どう考えてもより重大な問題はこっち。なんで編集者や出版社は自分たちは条例に反対する権利があると信じられるのか。ましてなんで作家がここと組めるのか。全然分からない。