久しぶりにここのブログを更新しようと思う。生存報告として。

 

書くことは何もない。新コロ以後、ここに書いてきたものをざっくり見返してみて、我ながら3年前からほとんどスタンスが変わっていないことに驚かされた。

 

また、感染症対策についてきっちりした総括が必要だとかなり早い段階で書いてあることにもびっくりした。

 

しかしおそらく、まともな総括は行われないだろう。

 

マスク、アルコール消毒、ソーシャルディスタンスなどの「感染症対策の基本の徹底」なるものはほぼすべて無効、無意味であったことは確定した事実として扱ってよいと思う。

 

他方で、デメリット・弊害については想像以上に大きい。特にマスクについてのデメリットもすでに私は書いている。2年以上前に私ですら分かったことが、今ようやく理解され始めたようだ。しかし、まだまだ理解が足りないと言わざるを得ない。

 

アルコール消毒についてもあまりにも安易に考えられている。乳幼児の腸内細菌叢に与える影響を私は強く懸念しているが、聞くところによるとコロナ以前の日本人の乳幼児のデータがなく、比較ができないんだそうである。

 

デメリットや弊害を想定せずに、あるかどうかよく分からないメリットだけを過度に強調して、よくもまあ推奨(時に強要)してきたものだと呆れるほかない。

 

したがって、本来であれば、対策を公平に総括し、批判すべきところは批判し、責任を取るべき人物は責任をとれ、と思うが、そういうことにはならないだろう。

 

というのも、医者の世界、医療の世界というのは実にいい加減で、絶対に誰も責任を取らないようにでき上っているからだ。責任から逃げることしか考えない。それが医者というものだ。

 

なので、きっちりした総括がなされる可能性は極めて低いと思うが、それでも、一市民として、まともな総括をしろという希望だけは述べておく。

 

(追記)

私はこのブログでしつこくニセ科学批判はダメだと語ってきたが、それが正しかったことも証明されたと考えている。

 

ニセ科学批判を標榜するならば、本来であれば、感染症対策として推奨されたものについて、懐疑主義の立場から批判的に吟味をしていくのが本当である。ところが、そうではない。彼らは、唯々諾々と「専門家」に従うだけであった。

 

要するに、あの人たちは単なる権威主義者の集まりでしかなく、懐疑主義とは全く無縁だ、ということが示されたのだ。

 

雑感

 

・医療に絶対はない。

今、当たり前だと思われていることが実はたいした根拠がなく極めて通俗的な理解でしかなった、ということはよくあることだ。

あらゆる情報に対して、眉に唾を付けなければならない。科学は、断定しない。

 

・医学教育を受けていない私たち一般の人間にとって、注意をする必要ある点を特に書いておく。

 

まず、英語のニュースを頭から信じないこと。外国語で伝わる記事はついつい信用してしまうが、実際のところは記事を書いている人間がどこまで理解して書いているかはなはだ怪しく、今だと閲覧数稼ぎのために何事も刺激的に書いて読者を釣ってしまう。

 

日本のインテリがえてして、多数派ではあるが大した根拠があるのかどうか疑わしい、あるいは慎重さを欠いた話を信じている理由の多くはこれである。

 

もう一つは、医学論文そのものの信頼性の問題。私たち一般の人間からすると、医学論文は学術的にそれなりにしっかりしたもので信頼できると安易に考えてしまうが、実際はそうではなく、どうとでも書けてしまうものだ。

 

なので、相当批判的に読む必要があり、これはそれなりの教育を受けた人間にしかできない。しかし、別に専門家でなければならないわけでもなさそうで、一般的な医学教育を受け、しっかり勉強した人であれば十分批判的な読解ができていそうな印象を私は持っている。

 

ところが、肝心かなめの医療関係者がえてしてうかつで、公平に批判的な姿勢を保つことができなくなってしまっているような場面すら見受けられる。

 

あるいは、医学教育を受けていなくても、それぞれの人の持ち場と重なる部分については批判的な読解が可能となるはずだ。公式見解だけが正しいとは決して限らない。

 

大書しておきたいことは、医療関係者というのはそれほど頭のいい人たちでもなんでもない。頭からバカにする必要はなくとも、かといって過度に崇め奉ることはない。バカがバカなことを言っているのであれば、掛け値なしに「こいつはバカだ」という認識を持つことは重要である。

 

・・・

 

現在は明らかに全体主義ファシズムの現代版をやっているのであって、後世の歴史家はどうしてこんな愚劣なことをやったのだろうかと首をかしげるに違いない。

 

私自身、このブログから遠ざかった大きな理由は、このとんでもない時代に生きる私自身の身を守り、私の幸せを守ることで精いっぱいだからだ。私としてはそれでもう十分で、世界の愚かしさにほとほと呆れ、ブログを書く意欲はなくなっている。

 

とりあえずの生存報告としてここに書いておくが、今後も続けるかどうかはわからない。

この一年はとんでもない年だった。医療の専門家がこれだけ近視眼で愚かだったとは、話にだけは聞いていたが、実地で確認することになるとは想像もしていなかった。

 

その意味で、世論や社会通念がおかしいのではなく、世論や社会通念がおかしくなった時に、それを是認し、助長し続けた専門家たちが一番悪い。彼らは、自分たちの言動を正当化するばかりで、行われてきた一連の「対策」の総括をまともにしていない。誤りを修正していかないで、同じことの繰り返しばかりで、なんで一切の反省がなく、悪いのは常に一般市民にされ、「気の緩み」や「勝負の〇週間」などなどと言った具体性に欠ける標語が連発されたのか、理解に苦しむ(もちろん自分の責任にかかることを避けるためにこういうことを言い続けるのだ)。

 

経済の面とあわせて全体の政策を考えなかった政治家もひどいが、しかし仮にも医療の専門家の肩書を持つ者が無茶苦茶を連日、テレビで放言するようなことが続いては世論がそれになびくのも当然で、政治サイドは片手がもげていたようなものだと言えないこともない。

 

私もいろいろ間違えたが、一番の失敗は西浦博先生の「42万人死亡」説を必要な脅迫として是認してしまったことだ。当時、医療の世界の危機感は、私のところにまで伝わってきており、ヨーロッパや米国と同じ状況になる可能性は薄いとは思っていたが予防的な措置は必要ではないかとは考えていた。

 

はっきり言えばその必要はなく、4月段階でも現場の医者には冷静に考えていた人もいたことは、ネットの中では知られていることと思う。

 

結局、1月末に書いた、街場の耳鼻科の言うことが一番正しかったということで、ここに再掲しておく。

 

いろんな情報を総合してみて、いまさら感染を抑制するとか何とか言っている専門家たちの現実感覚・現実認識のほうがあまりにも変なのだと断じて構わない。

 

jura03.hatenadiary.jp

 

たまたま知人の耳鼻科と雑談した。地元でひっきりなしに患者が来る病院の先生で、ヤブ医者ではない。

 

当然、コロナウィルスの話を少ししたんだけれども、手を洗ってうがいをするしかない、もうどうしようもない、ということだった。

 

年末にこの先生は、

 

「変な風邪が流行ってますよー」

 

と言ってたので、「あれ、ひょっとしてコロナウィルスやった可能性だってあるんちゃうんですか」と冗談を言ったら受けたんだが、ただこの医者の判断も

 

とっくの昔に、日本でも感染者はたくさんいたはずだ

 

ということになっていた。そういうことであれば、普通の風邪とかインフルエンザと思って、寝てたら治った人たちが多かった、ということも十分に考えられる。

 

最後に、もしこの3月、欧米がああも慌てることがなければ、超過死亡はでていたろうが、その数はずっと少なく済んだはずだということを付け加えておく。無駄で無茶苦茶な「対策」による逆効果の被害者が相当数いたはずだからだ。

 

4月に西浦博が想定される最悪の場合の死亡者数を出して脅迫した件があった。当時はこれを必要悪ではないかと思ったが、これは間違いだった。当時はまだ、「専門家」をある程度信用していた。

 

世界的に、「専門家」の人たちはたいてい何かおかしいので鵜呑みができないということがはっきりした半年だったと思うが、その好例が西浦先生で、はっきり言えば、

 

京都大学の変人」枠

 

としてこのまま学者生活を送られることを希望する。表に出てきたり、政策決定に携わるようなことは一切やめて欲しい。

 

西浦先生は目立つから一例として挙げるだけで、他の「専門家」もどっこいどっこいだ。話にならない。

 

たとえば、9月末の連休が結構な人出だったのに陽性者数が増えない理由について、まともな分析は多分出てこないはずだ。今まで、その種の素朴な疑問について、説得力のあるまともな返答が返ってきたためしがない。

 

本来「専門家」であれば、それを分析して、今後の「対策」に生かすべきはずなのに、その本来の職分を全うしない「専門家」が世界的に多すぎる。

 

本当にひどすぎる話が目の前で展開しているのである。

マスクは外しましょう

新コロパニックで、日本は欧米に釣られてはいけない。観察していて思うが、欧米(敢えて大雑把に一括りにする)の一般人は、この半年で分かってきたことを何も知らなくて、おそらく半年前のまま、頭の中は何も変わっていない。

 

これは悪いのは、「専門家」たちだ。ポジティブな話はいろいろある。治療法はほぼ確立しているようで、免疫の働きも徐々にではあるが説明がなされつつある。

 

こういった前向きな話を、ことごとく潰していって、「陽性者数」で脅していくことしかしていない。その挙句に、マスクのような意味のないものを義務化したりする。

 

私は、はじめマスクを軽く考えてやむなくつけていたが、しばらく世間にあわせていた間にいろいろ考えて、完全に意見を変えた。マスクを甘く見ていた。

 

マスクの利点と言えばただ一つで、飛沫が飛ばないだろうということだけだ。

 

それに比べて、マイナス点と思われるところはたくさんある。

 

・飛沫が直接飛ばなくても、マスクにウィルスが溜まり、マスク着用者本人に対するリスクが上がる。

 

・マスクに付着したウィルス・細菌・カビなどを直接肺に吸い込む可能性。マスクをつけていると普段よりも強く息を吸う。

 

・呼気によってマスクに付着したウィルスなどを飛ばす。

 

・夏場の熱中症リスク。

 

・そもそも息が前に飛ばないだけで、上下左右に空気が移動して、背後にまわる。

 

・もしマスクが本当に機能していたとすれば、免疫機能への影響はどうか。マスクのおかげで新コロウィルスが免疫を刺激しているという話が出てきたが、こんなものはどう見ても後付けの屁理屈であって、だったらマスクを外して普通に生活するなかでいろんなウィルス・細菌の免疫を刺激するようにした方がよほど自然に決まっている。

 

・私なぞは、不織布のマスクをすると、鼻腔が痛くなるが、医者に言わせると軽いアレルギー反応を起こしているようだ。これでは、マスクをつけた方が、新コロに限らず、あらゆる感染症に脆弱になってしまう。無論、布マスクでは何の意味もないのだ。

 

・子供の成長に関わる問題。大人の表情から感情を読み取るなどの認知機能や、言語発達機能・コミュニケーション能力の健全な育成を、長期に渡るユニヴァーサル・マスクは阻害しうる。

 

・これは声を大にして言いたいが、マスク着用が人間の精神に与える影響だ。マスクをつける限り、新コロから頭が離れないし、無駄で意味のない感染対策ばかりに依存しようとしてしまう。こういう一つ一つがストレスであり、ストレスはそもそも免疫にとっての大敵だ。かつ、社会経済を運営するにあたってのブレーキでもあって、こういう目に見えない要素を過小に見積もるべきではない。

 

まだあると思うが、そもそもマスクを一般に広く、長期に渡って着用を義務付けたところで、正しく適切な使用は一般的には不可能であり、単に不潔な布状のものを口や鼻のすぐそばに置いているだけ、以上の意味はない。

 

ついこないだまで、医者は業務中にマスクをポケットに入れたり机に置いたりなどしてはいけないものだったが、今やテレビで見ると医者はポケットにマスクをしまったりする。これがどんなに愚かなことか。

 

百歩譲って、マスクに新コロ感染抑制効果があることを認めるにしても、デメリットについての検討を一切行わずにユニヴァーサル・マスクを推奨することには、大いに疑問、いや断固として反対したい。

 

思えば、新コロ騒ぎが始まってからというもの、「感染症対策」「新しい生活様式」などなどと言われてきたものは、新コロのこと「だけ」を念頭におかれて語られてきたものだ。

 

多くの「専門家」たちは、新コロのこと「だけ」考えて物を言っている。

 

しかし私たちは、新コロのためだけに生きているのではない。なので、新コロのことしか考えていない「専門家」たちの言うことを聞いては、絶対にいけない。

 

彼らによって私たちの社会・経済・生活は破壊されてしまうだろう。

 

そうならないために、一つ一つの反省や振り返りが必要だと思う。そのためにも、

 

「マスクは外しましょう」

安倍首相が辞任する。いろんな論評が出ているけれど、私自身の考えはここに書いた通りで、森友問題みたいなのを許していてはいけないだろうと今でも考えている。本当はあれが潮時だった。

 

新型コロナ対策では安倍さんは、一斉休校やマスクのような世論向けのアピールでは見事に滑ったが、基本的には専門家任せで、他国の首脳のように新コロ騒ぎを好機と見ていい恰好をしようという手には出なかった。

 

このあたりが、ボンボンの安倍さんらしいところなんだろうが、いろんな問題があったとはいえ、結果的には成り行き任せにして上でもなく下でもなく、となっている。

 

これが妙に色気を出してなにかとやりたがる首相であれば、事態はもっとひどくなっていたはずだ。

 

なにより私権の制限に極めて慎重だったところは認めてよいと思っている。他国は平気で基本的人権の問題を切り捨てているのではないかと疑われてもやむを得ないようなことをやっていて、個人的には、

 

「ヨーロッパやアメリカにとっての基本的人権ってなに?」

 

基本的人権がそんなに安っぽいものでいいわけないじゃないか。なにがBLMだ、ウソつけよ」

 

という印象を強く持っている。

 

・・・

 

指定感染症の運用の問題は、おそらく自民党の総裁選挙の真っ最中にはできない。主要メディアで取り上げられて、変な騒ぎになりかねず、寝た子を起こしかねない。

 

希望的観測としては、事態は前向きに進んでいるはずで、NHKの報道でも「調整致命率」の低下を報じているが、前回のあの酷い数字の出し方から変化があったことが察せられる。

コロナ専門家会合「感染者 緩やかな減少傾向続くも警戒必要」 | 新型コロナウイルス | NHKニュース

 

是非、この問題を安倍さんの最後の仕事にしてもらいたい。

 

新型コロナがインフルエンザと同程度の扱いになる、と報じられると国内のみならず、海外からどういう批判がやってくるか分からない。

 

そこを何とか乗り越えてもらうしかない。