安倍内閣が実質的に移民を認めつつある一方で、基本的人権を尊重しようという議論を「ポリコレ棒」云々と揶揄するのは、おかしい風潮だと前々から思っている。

というのも、移民の問題と基本的人権の尊重の問題はコインの裏表であって、どちらもセットの議論でないといけないからだ。労働力として移民を入れたいのであれば、移民の人権を守らないといけない。

ところが、「ポリコレ棒」云々というのは、えてして左派を揶揄する右派の文脈で出てくるわけで、右派の安倍内閣が移民の流入を認めることと、整合性がとれない。

いったいどうするのか。

つまり、移民を認める段階で、いわゆる「リベラル」を揶揄することは、少なくとも基本的人権の問題に関する限り、難しくなっているはずなのに、そう言う認識がそもそも持たれていないのではないか。

もっとも米国ではトイレの表示や図書館の書籍にまで影響がある場合があるなどと言われていて、それはさすがにどうなのかとわたしも思うけれども、日本の場合はそもそも移民を公式には認めていないわけで、とてもではないが「ポリコレ疲れ」を云々する段階にあるとは到底思えない。

本当に、こんなことでいいのだろうか。