近所にあまり賢くない子供がいて、ちょっとしたことで鬼の首を取ったように自慢する子がいる。その子は何をやってもダメなので、1+1=2くらいのことでも、威張らないとやっとれないのである。ある意味、とてもかわいそうな子供だ。

麻生太郎「有無(ゆうむ)」 読み間違いと指摘されるも正解と判明して大逆転 | netgeek

麻生さんが漢字を知らないのは周知の事実で、この「有無」もその一例だろう。

問題は、辞書を引いてやーいやーいと言っている人の心性だ。1+1=2ができると言って自慢する子供に似ている。

ただ、ことは政治なので、こういうのを見ると、ファシズム勃興期に、過激派が社会主義者共産主義者を暴力で威圧したことをどうしても連想する。暴力的なファシストたちの気分は、こんな感じだったのかもしれない。もっとも、当時は左は左で対抗して負けていなかったし、麻生大臣の漢字は単にネットで暴れているのがいるだけで、リアルの暴力に転換していない。

それにしても、よくもここまで意図的に贔屓の引き倒しをやるよねぇ。。。

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正義が昂進すると危険だ。それは右も左も変わらない。左派の正義の昂進の仕方をシニカルに眺める言説が少なくないが、それだけではいけない。右サイドの方も事情は同じで、「有無」の読み方で鬼の首を取ったように喜ぶ人たちにとっては、それが「正義」であるはずだ。

と言って、「右も左もバカだね」と言って済ましていてもいけない。正義の昂進は危険だが、それは右も左もシニカルに眺めて済ます、ということではない。

このバランスをどうとるかということで悩むことが大事なのだろうと私は思う。悩んだうえである判断が出てきた方がいいに決まっているが、少なくとも悩む必要はある。

そして悩むことは、シニカルなポーズをとることと同じではない。