マッテオッティ事件で政権発足後、最大の危機を迎えたムッソリーニは、なぜ危機を乗り越えることができたのだろうか。

いろいろな理由がありそうで、たとえば暴力行為を繰り返す過激派の手綱を緩めて、この暴力集団をコントロールできるのはムッソリーニしかいないことを示して脅迫した。他方で、過激派たちがムッソリーニに熱烈支持を与えたことも、危機の乗り切りに役立った。

国会をボイコットした野党指導者たちの目論見は、最後は憲法に基づく体制を保障する国王ヴィットリオ・エマヌエレ3世による介入だったのだが、これは全く期待外れだった。国王としては憲法よりも自分の地位と家を維持することのほうが大事で、左翼に比べてムッソリーニのほうが安全だと踏んだ。

各界の指導者やその空気も、最後はムッソリーニ支持に傾いた。社会主義者共産主義者を嫌ったからだ。

ムッソリーニはローマ進軍の時点から、崩壊の危機に直面していた。もしもヴィットリオ・エマヌエレ3世が戒厳令にサインしていたら、ローマに向かうファシストたちなど正規軍の前に雲散霧消していた。マッテオッティ事件もそうで、この時に躊躇なくムッソリーニの首を飛ばしておけば、その後の流れが大きく変わったことは間違いない。

もしもムッソリーニが政権をとっていなければ、あるいは20年もの間、政権を握っていなければ、ヨーロッパの歴史は全く変わっていたはずだ。

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マッテオッティ事件で、ムッソリーニがマッテオッティの誘拐殺人を指示した可能性はよく分からないが、仮に指示しなかったとして(ムッソリーニは事件の報を聞いて動揺してしまい、愛人に泣きついている)、倫理的責任は残る。しかし、この倫理的責任をうやむやにしてしまった、あるいは責任を認めても開き直ってしまった。開き直ってしまえる環境になってしまった。

また、左翼にだけは政権はとらせないという、左翼嫌いの空気もムッソリーニに有利に働いたが、それがためにイタリア王国は崩壊した。

私は、ファシズムが再来する可能性は極めて薄いと思っているが、こういう歴史から得る教訓はあるのではないかと思う。