今から思えば、2005年の人権擁護法案反対運動の一番の問題は、反対の根拠の多くが間違いや誤解・デマであること、という点にはなかった。

もちろん、それも問題には違いないんだが、それよりも、そういったデマや間違いを生んだ元、またそういったものが広まる背景が本当の問題だった。

人権擁護法案反対運動には、多くの差別や偏見を基にした議論が横行していた。それに対して、bewaad さんが、ヒットラーの「我が闘争」を持ち出して、反ユダヤ主義を連想させるものだと書いていたが、こちらのほうが問題の核心だったのだろう。

こういった差別は、「普通の日本人」が「他」と比べて「優等」であったり、あるいは「他と違う」ために、そこで語られる「他者」を危険視し、あるいは排除することでもあった。これがそもそもの問題で、人権擁護法案反対運動の根っこだったのだと、今にして思う。

こういった差別の心情や感覚は、薄く広く広がっていて、いわゆる「日本スゲー」の類は、その裏返しになっているだけだ。だからその種の言説が不愉快なのだ。

あの当時は問題の深刻さがよく分からず、差別の問題が今のように発展するとは想像していなかった。

想像力が足りなかったということもあるし、私自身が不勉強だった。反省とともに、この問題には徹底的に抵抗していきたいと私は思っている。