安倍首相は「真の保守」ではない!西部邁氏が迷走政治を一刀両断 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン

 その一方で、イタリアにおいては「束ねる(団結する)」を語源とするファシズムが活発化しました。ヒトラーが先導したナチズムは合理的に国家を設計するという社会主義的な色彩が濃かったのに対し、ファッショはもっとロマンチックに「ローマの栄光を取り戻そう」という思想に基づいたものです。

 もちろん、実際のファシスタにはゴロツキと呼ばれる手合いも少なからず加わっていたし、よく考えもせずに酷いことをしでかしたのも事実。しかしながら、当時の資本主義の滅茶苦茶ぶりからすれば起こるべくして起こったことで、デモクラシーの中から生まれたものでもあります。

イタリア語のfascioはそもそも動詞ではありません。ファシズムは「ローマの栄光を取り戻そう」という思想に基づいたものではありません。「起こるべくして起こったもの」と断定もできません。

。。。でいいんだけれども、「ファシスタたらんとした」と言いながら、ファシズムの認識がこの程度なのが、普通の人ならともかく、かつて東京大学教養学部教授だった、というあたり。

日本に限った話ではないかもしれないが、「知識人」や「インテリ」とはなんなのかと思う。

不勉強な私は単にモノ好きでこのところファシズム関係の本を読んでいるだけで、えらそうなことは何も言えないが、うっかり釣られて見てしまったので、突っ込まざるを得なくなった。さすがにこれはない。

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エミリオ・ジェンティーレが、ファシズムを研究するには、その理論的・抽象的な面に専念するのではなく、常に個別具体的な歴史に立ち返ることの重要性を強調して、その意味ですべての発端になったイタリア・ファシズムをまず研究することが妥当だと主張しているけれども、それはそうだろうと思う。ヒットラースターリンファシズムを語るのは、まるで本末転倒だから。

そういう認識が薄いように思われるのも気になる。

仮にもファシストになりたい元東大教授が、これでいいんだろうか。