https://twitter.com/taka_paris/status/933235374322622464

八代《タカ》隆司@taka_paris
いやフランスでも女性の裸(男性もだけれど)の広告で昔よりは減ったと言えども公共空間に溢れてますわよ。それこそパリ交通公団RATPがメトロ内でのハラスメントに対してキャンペーンも行ってるしこの国の性犯罪は日本より比べものにならない位多い。ナンパだって執拗だし安全?何処ですか?って感じ。

池内さおり@ikeuchi_saori
「成人コーナー」のネーミング、いつも違和感しか感じない。フランスに行った時、女の裸や「媚びた」写真が公共空間に存在しないことに私は驚き、安全さを感じた。日本社会は公共空間のあり方を真剣に考える必要があるだろう。そして何より性暴力に「ノー」を言える老若男女こそ目指すべき成人だろう。

これはイタリアでもそうで、女性にとって日本より安全で気持ちがいいということは、決してない。だから、外国の事情を持ち出すのは違うだろう。

ただ、日本と違って少なくともイタリアでは、女性差別や女性に対する暴力に反対するための運動が官民あげて非常に熱心な印象がある。タカさんのtweetにも「メトロ内でのハラスメントに対してキャンペーンも行ってる」とあるところを見ると、フランスも事情は同じではないかと思う。

タカさんの意図とは違うと思うが、おそらくこのtweetを見て、

「ほれみろ、日本だけじゃない、フランスだってどこだってそうじゃないか、出羽守しやがってバーカ」

。。。と受け取る人がおそらく少なくないんじゃないか。私は、女性に対する差別や暴力に反対しようという欧州各国の努力は買うべきだと思う。その意識があまりにも希薄な日本よりも、その点についてはましではないか。

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https://twitter.com/minajyounouchi/status/933478112217612288

城之内 みな@minajyounouchi
欧米がやってるから日本も見習うべきという、いつもの論理ですね。
ならば欧米は軍隊を持ち、核兵器を持ってるから日本も見習うべきという論理も成り立ちますね。
熊本市議会で赤ちゃん連れ議員の出席認められず...でも、世界にはこんなにいます

熊本の市議会議員が、議場に乳児を連れ込んだ話が出て話題になった。それを聞いて真っ先に思い出したのが、欧州議会で、リーチャ・ロンズッリが自分の赤ちゃんを議場に連れ込んだ話だ。これはハフィントンポストでも名前が出ている。

ちなみにだが、リーチャ・ロンズッリは中道右派で、シルビオベルルスコーニに近く、ベルルスコーニが好きな乱交パーティーのおぜん立てに一枚かんでいたのではないかと噂される人物だ。したがって、汚職追及に熱心な政党「価値あるイタリア」の欧州議員ソーニャ・アルファーノが、乳児を議場に入れることは議会の品位を汚すとして批判した。

議会に議員が乳児を日常的に連れて入れるようにすべきかどうか、そこは議論があるところだと私も思うが、現実には欧州議会はロンズッリの娘ヴィットーリアの入場を認めており、また子供のほうも議事進行の妨げにならない大人しい子なのだろうが、ハフィントンポストにもあるように「常連」になっており、同僚議員たちからも許容されているようではある。

少なくとも働く女性と子育てという観点からの問題提起としては、何も悪いことではない、と私も思うし、それほど批判されるべきことでもないのだろう。

もっとも、欧州議会と、たかが熊本の市議会とでは、議員の意識が違いすぎて、同列に論じるのは難しいかもしれない。では、中央の人たちはどうだろう、国会ならどうだろう。はなはだ心許ない気がする。

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外国と日本との比較することは重要だ。私の知っている国と比べて日本にもいいところは少なくないし、それを否定する気は全くない。しかし、安易な現状肯定のために「海外の実情」を持ち出すとか、あるいはせっかく海外情報を出しても「日本は日本、欧米は欧米」という開き直りに終始する、ということには賛成しない。

ところが、今の日本の空気だとそういう方向が強い。現状を肯定して、中国韓国欧州米国などなど、とにかく他国を落として自己満足に浸る、という空気に、私は耐えられなくなっている。

安易な現状肯定や自己満足で、いいのだろうか。いいわけがない。

私は縁があってイタリアが好きになったのだが、イタリアの友人に、「イタリア人はえらいな、自分のことでイヤミ言って喜んでるやないか、えらい」というと、「そういう皮肉をいうことすらなくなったら、イタリア人には他はもう何にも残らないよ」と返された。

物質的経済的には、イタリア人は決して恵まれていない。日本のほうがはるかに豊かだ。それに様々な歴史的社会的背景から、イタリア人の感じている劣等意識は深刻だ。しかし、自己満足でウットリしている日本人よりも、自分のことで皮肉を言って笑っているイタリア人のほうが数等立派だと、私は思っている。

もしイタリア人が、自分を客観視して皮肉すらいえなくなった時、私はイタリアとイタリア人を嫌いになるだろう。