夏目漱石武者小路実篤に送った有名な書簡に、

「気に入らないこと、癪に障ること、憤慨すべきことは、塵芥の如くたくさんあります。それを清めることは、人間の力でできません。それと戦ふよりもそれをゆるすことが、人間として立派なものならば、できる丈そちらの方の修養をお互いにしたいと思ひますがどうでせう。」

と書いたものがある。

これに感激する人が少なくないらしいが、そもそもとして漱石は大変な癇癪持ちだったことを忘れてはならない。精神的にも波があったようだが、漱石は気に入らないこと、癪に障ること、憤慨するべきことに対して「戦ふ」よりも「ゆるす」なんてことができるような人では到底なかった。

晩年は立派なことを言っているエピソードが確かにあって、松岡譲が有名な「則天去私」に関する話を伝えていたように思うけれど、そういった立派そうな発言は、元来非常な癇癪持ちで怒るとすぐに手が出てくる人によるものだということをよくよく念頭に置いて聞くべきだと思う。

普通はそういうふうに理解されないので、倫理的にグズグズのまま「戦うことよりもゆるすこと」というフレーズに感激してしまいかねない。

そうではない。あることに直面したときに自分の持っている倫理観念から許容できず、発狂するほど腹が立つ。それがあったうえで、「戦うことよりもゆるすこと」と言い出す。そこに意味がある。

怒りもしない、闘いもしない、むしろ怒ることや戦うことは「よくない」として、なんでもかんでも「まあまあいいじゃないか」という意味に理解されては、たまったものではないと私は思う。