私が最近関心を持っている、網野善彦とレンツォ・デ・フェリーチェの共通点は、どちらも元共産党員で、熱心な活動家だったことにある。ともに戦後を代表する歴史家で、イデオロギーの色眼鏡で資料を読むなと口を酸っぱくするところもまるで同じ。

最初から意識をして関心を持ったわけではなくて、たまたまそうなったんだが、興味深い一致だ。

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網野は晩年「清水三男」という小論を書いている。京都帝大の清水も、最初はゴリゴリのマルクス主義の活動家だったのに、途中で転向した日本中世史家だ。シベリアに抑留されて37歳で死んでしまう。

ただこの人の場合は、網野やデ・フェリーチェと違って完全に右翼になってしまった。「ぼくらの歴史教室」「素描祖国の歴史」といった、子供向け・一般向け歴史を書いたが、皇国史観とまではいかなくても、かつてのマルクス主義者の面目はとうに失せていた。

したがって、昔から清水を知る人の中にはきわめて批判的な人もいるのは無理のないところだろう。

ところが、ここからが不思議なのだが、にもかかわらず、清水のことを敬意をもって懐かしく思う友人・知人が少なくなかった。

なおかつ、歴史家としては転向してからのほうが面白いらしく、中世史家の石井進も、なぜ清水は右転してからのほうが面白いのかと学生時代にひそかに言っていた、そうである。

網野の問題意識としては、これをどう整理すればいいのか、というのであった。左翼の側がこれを整理しないと、前に進むことはできないのだから。

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デ・フェリーチェもそうだけれども、網野ももともと左翼で、いわば左翼の内部から左翼を批判する。

これが、右翼が左翼を批判しているだけならば、たいして面白くないことであったと思う。