■
日本では戦前は庶民の間では結構幸せだった、という話はありがちな話で、よく聞く。
もちろん、「戦前」「戦間期」と言ってもいろいろなわけで、この種の話について、いろいろな角度からの検討は必要だろう。
ただ、これに対して、左派の人たちが、当時の政府による人権の抑圧状況の酷さを強調するのはおそらく、「人民が無理やり政府にコンセンサスを与えさせられた」ということにしたい、という一面もあるのではないだろうか。そういう批判についても慎重な検討が必要なのは当然で、不勉強な私には何とも言えない。
ただ一つ言えるのは、1943年からの2年間以外の時期について、庶民の間では結構幸せで、人権の抑圧をあまり感じなかったとして、だからどうなのかという問題はあるだろう。
イタリアの場合、かつて、ムッソリーニのファシズム政権には人民からの相当のコンセンサスがあったという議論をすることがショックだった時代がある。ファシストの強権によって無理やり人民からコンセンサスが与えられた(あるいは与えたような演出をさせられた)という議論に、特に左派がしたかったので、イタリアも御多分に漏れずインテリに左翼が多く、また反ファシズムのレジスタンスの一翼を担い、戦後に共和国を成立させた立役者の一人がイタリア共産党だったこともあり、左翼の常識に反する議論をすることが難しい側面があった。
しかし現実には、1936年のエチオピア戦争での一応の勝利と帝国化によって、ファシズム政権に対する支持は頂点に達した。つまり、ファシズム政権に対して人民の側から自発的なコンセンサスを与えていた。
それに、ムッソリーニ・ファシズム政権側も、人民からのコンセンサスは単なる黙認や受け身的なものでは意味がなかった。人民から積極的にコンセンサスが与えられることで政権の諸政策に正当性が生まれることを、誰よりもムッソリーニがよく自覚していた。そのために政策を打ち出すのは当然で、エチオピア戦争にもそういう側面はあり、また政府による介入を進める産業政策や、レクリエーションや社会保障などの福祉政策も、人民からのコンセンサスを意識してなされている。
また、ムッソリーニ自身に対する支持がなかなか揺るがなかった。悪いことはファシスト党や政府の責任で、ムッソリーニ自身の責任にはならない。もちろん、そこにはプロパガンダやムッソリーニの神格化などの効果が多分にあるとはいえ、人民は政権にコンセンサスを強制的に与えさせられた、とばかりは言えない。
しかし、1936年以降、ナチス・ドイツへの従属化やユダヤ人に対する差別的政策、なにより大戦が始まってから軍事的に続いた失敗などで、人民のコンセンサスは失われていく。
ではだから何なのだろうか。「だからファシズム時代も悪くなかった」「悪いことばかりではなかった」と言えるだろうか。
少なくとも政治的には、今それを言うと、イタリア人から大きな信用は得られないことはまず間違いない。人民からのコンセンサスに関する議論をして左翼から強く批判された、歴史家のレンツォ・デ・フェリーチェも、ファシズム政権を是認するつもりは全くなく、むしろ大いに批判したいのであった。
さて話を戻して、日本の場合、「戦争最後の二年間以外は庶民は結構幸せだった」という話をして、だから何なのだろうか。
「戦間期」と言ってもいろいろで、大正デモクラシーの時代はそんなに悪くはなかったのだろうし、軍の政治に対する影響が強まってくると様子が徐々に変わっていったということもあるだろう。
ただ、その間の(1943年までの)日本政府の政策を、人民が積極的に是認していたことにはなるんじゃないか。その場合、戦争責任について、ますます自分たちに重く問う必要が出てくるはずだ。
そういう方向の議論になるのであれば、意味はある。日本は戦争に負けたからだ。
しかし、当時の日本政府を少しでも是認したいということであれば、つまり「自分たち日本人の戦争責任をますます重く問う」どころか、その正反対の方向に進んでしまうならば、それはくだらない議論で「それがどうしたの」としか言えないし、国際的に通用する話でもないだろうが、問題は右派の人たちに戦前を是認したい人が少なくないので、そこがいかがなものか。
世間には、自分に甘い、自己憐憫の強い人が大変に多い。そういう人たちに、「戦間期のことを一概に否定できない」と言っても、「悪いのは政府だ」と言っても、どちらも自己憐憫でうっとりするだけだろう。そこに注意が必要だと私は思う。