イタリア・ファシズム史の大家にレンツォ・デ・フェリーチェ Renzo De Felice という人がいる。日本ではあまり知られていないが、きわめて膨大なムッソリーニの伝記を書いたことで有名であり、死去後20年たつ現在でもファシズム研究では権威となっている一人だ。

この歴史家は、まずファシズムに関する歴史的事実をできる限り完全に再構築してから、それからようやっとファシズムとは何だったのかという解釈が自ずからでてくるはずだ、と言った人だった。博覧強記を極めており、間違いなく歴史家の中でも有数の巨人であるが、しかしそういう人なので、1965年から書き始めたムッソリーニ伝は、1996年に亡くなったときにもまだ完結できなかった。

他方で、日本の歴史家である石母田正は、正確な表現は忘れてしまったが、イデオロギーなしには歴史学はできないというようなことを言ったことがあるそうだ。石母田も間違いなく歴史学の巨人だが、デ・フェリーチェとまるで正反対なので笑ってしまう。

もちろん、現実にはそれほどすっぱり割りきれる話ではない。事実の再構築の際にはその人の史観や思想が入り込んでしまうものだし、イデオロギーなしに歴史学はできないと言っても事実から離れることは許されない。

ただ、私の好みはデ・フェリーチェのほうで、石母田ではないかもしれない。もちろん、石母田がダメだとは思わないし、そういう判断をする能力が私にはない。むしろ、石母田の歴史叙述を魅力的にすら感じている。マルクス主義に影響された凡百の日本史家と同列に並べることは到底できない。

ただ、デ・フェリーチェほどに徹底的に史料と向き合って、歴史を書くということが、はたして日本であったのだろうか、誰がそういうことをやっただろうかとは思う。無論、日本史家が手を抜いていると言いたいのではない。そういう意味ではなくて、デ・フェリーチェのようなやり方で歴史を書いた日本人が、いた、あるいはいるのだろうかと、素朴にそう思っただけだ。

ファシズムのような現象の「解釈」を行うのは、ある意味ではたやすいのかもしれない。自分の思うように好きなように言える。

他方で、過去の事実の再構築をできる限り完全に行おうとするのは、不可能に対する挑戦であって、解釈よりもはるかに難事業であるに相違ない。そしてそれはまた、誰かがやらなければならない必要事でもある。

そういう反省が、どれだけの人に共有されているのだろうかと、デ・フェリーチェの書き物を読んでいて私は思うのである。