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イタリアのファシズム政権にとって大きな課題の一つは、新人類の創造だった。若い世代に新しいイタリア人を、新人類を創出することで、イタリアという国家を変え、また国家を指導するエリートを輩出させようというわけだ。それにプラスして、ムッソリーニ後のことを考えると、若い世代をファシズム化することで政権を盤石なものとしたいと考えるのも当然と言わねばならない。
そのためにも、国家が教育を独占しなければならないわけだが、一つの邪魔者がいた。カトリック勢力である。イタリアは、周知のようにカトリック国であるから、バチカンの影響力が強い。それだけではなく、バチカンが学校や若者のための団体などを通じて影響力を行使することが可能でもあった。
それに対して、ファシズム政権としては、できる限りバチカンの影響力の余地を縮減させたかったし、事実そういう方向に進んだのだが、ゼロにすることはできなかったうえ、バチカンとの交渉は非常に難しいものだった。イタリア王国とバチカンの間の問題は1929年のラテラノ条約ですべて解決されたわけではなく、両者の間には大きな危機が1931年にやってくる。そのテーマは、教育、若者育成、だった。