イタリアのファシズム時代、1920年代後半以降、国家の威信を優先させたいムッソリーニはリラ高を維持する経済政策をとったことは書いた。

大恐慌が起こってどうなったかというと、リラ高政策は放棄できなかった。そのために、輸入を極度に抑制する手に出た。産業界は困窮する。そこで、政府は産業復興公社を設立、公社に企業の株式を買い取らせることで、国家による産業支配を強め、かつ産業界も公社を通じて政府に影響力を与えやすくなる、という形で政府と産業界は手を握った。

また賃金抑制・削減策に出た。当然、庶民は困る。

困った庶民たちは、ファシズム体制にそっぽを向いたかというと、そうならなかった。理由はいくつかある。

プロパガンダによってムッソリーニは神格化され、反対意見を論じるメディアは弾圧されていた。また、この時期に社会保障政策や余暇を充実させる政策が促進された。工業化が遅れていたイタリアでは、人々の貧窮に対する耐性が強かった。なにより、名目賃金は下落しても、実質ベースでは生活水準は大恐慌前後で大して変わらなかった。

という次第で、ムッソリーニは無理やり、米国のルーズベルト大統領が打ち出したニューディール政策と近いと胸を張ったけれども、ケインズともあまり関係がない経済政策を行った。

それで、1943年までムッソリーニファシズム体制は揺るがなかった。