ネットにおける徒党で問題だと思ったのは、自分が属していると感じる集団に対する批判が出来なくなる点だった。

これを言うと「いやそんなことはない」と必ず言われる。たしかに、部分的にはその種の批判があるのかもしれない。が、全体として正面から受け止められていないのが通例で、そうなるとその集団を肯定的に論じる言説以外は排除されることになってしまう。自分たちを肯定する言説ならば、理屈があってもなくても構わなくなってしまう。

いわば、自家中毒みたいなものだ。

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ニセ科学批判とリフレ派の関係は「シノドス」、さらにさかのぼれば「黒木掲示板」からのものだというのは、このブログで何度も触れたところだ。

ニセ科学批判は懐疑をもって旨とするはずだった。懐疑というのはまずなによりも、自分自身に対する懐疑であるべきである。

ところが、例の自家中毒に一番ひっかかったのが、ニセ科学批判であり、リフレ派の面々だというのが、皮肉を極めている。

というのも、これに関係する人たち、支持する人たちは、決して「アホ」ではないはずで、むしろ高学歴であり、リアルでも立派な仕事をしている、優れた人たちが多いはずなのである。

にもかかわらず、というのが皮肉だ。

ニセ科学批判で、ニセ科学に引っかからないようにするには、ロジカルシンキングが大事だ云々と言われていたが、あれはいったい何だったのかという話なんだが、批判をしなくなって自家中毒症状を起こすのは、賢かろうが頭が悪かろうが、教育があろうがなかろうが、関係ない。引っかかるときには、引っかかる。

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徒党、党派性による牽強付会ニセ科学的、自家中毒的、、といろいろ言い連ねることはできる。

しかしこの根本にあるもの、共通するものはなんだろうか。

一つ言えば、ネットによって自分で自分を洗脳しているんじゃないかと思う。これはTwitterにとりわけ顕著だろうし、そういう面でのネット利用上の注意が甘い(情報の取扱い方という次元での注意ならばあるが)。

それはそれとして、私も人のことは言えず、党派的な言動もする、牽強付会もするけれども、しかし自分に対する懐疑は持っておきたいとは思っている。自分自身に対する「ツッコミ」は必要だ。それは、自分にとって都合のいい結論を導き出すためのロジックではなくて、あえて都合の悪いことを引き出すための「ツッコミ」だ。

これも何度も書いていることだけれども、私は最初はリフレ論に興味を持っていたのだけれども、いろいろな疑問から分からない人間なりにリフレ派と距離を置くようになった。ニセ科学批判についても同じで、最初は「そりゃそうだろう、もっともだろう」と思っていた。もっといえば、ネット右翼の扇動に手を貸したことだってある。このブログに書いたことは、自分にも向けられている面が確かにある。

そのつもりでネットを見回すと、はなはだ心もとない。

リフレ派を標榜しながらネットのリフレ派に厳しいことを言って、最後は呆れて黙ってしまわれた bewaad さんのことを、いつもいつも考えるのである。