呑兵衛雑談(1)悪いのは右翼左翼ではなくて、ポピュリズムではないのか

自分は政治史も政治思想史も全然知らないが、これまで観察してきて人並みに思うところはあるので、そこで人並みにいい加減なことを書こうと思う。いい加減だから、あくまでも飲み屋のヨタ話「呑兵衛雑談」にすぎない。

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「検証 東日本大震災の流言・デマ (光文社新書)」という本を書いた人がいる。著者は荻上チキ。昔はてなダイアリーでチマチマとものを書いていたこの人は、左サイドでは良心的とされ、近年非常に信頼されており、支持もあついし、朝日新聞の書評なぞでも名前を見るようになった。

東日本大震災の流言・デマ」。うむ。

ではこの人は、リフレ派が流したデマや、いい加減なことを言ってきた学者・専門家を批判してきたのだろうか?

そういう疑問を持つと、たとえば次のような tweet がひっかかる。2011年7月28日のものだが。
https://twitter.com/Recorremos/status/96560383011196928

チキさんは経済ネタとなるとリフレ派しか呼ばんのよねRT @dig954: 今夜は荻上チキ&外山惠理で「開国か?鎖国か?TPPの是非を問う」▼ゲストは経済学者の飯田泰之さん、経済評論家の三橋貴明さん▼メッセージは「TPP、『日本の農業保護』についての疑問・質問」 #dig954

飯田泰之もどうかと思うが、三橋貴明を呼ぶというのは何なんだろうか。

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リフレ論そのものの議論は専門家同士でやっていただくとして、ネット・リフレ派の学者・専門家は無茶苦茶だ、それを支持する烏合の衆たちも無茶苦茶だ、というのがネット上の徒党批判をやってきた当ブログの柱の一つになっている。

リフレ派がおかしいということを批判できない人に、Twitter などで大量に流れた「東日本大震災の流言・デマ」を取り上げてものを書く権利が、本当にあるのだろうか。

統計の扱いが無茶苦茶だと常に批判され、かつ私でもわかる嘘を平気で語り続けた高橋洋一や、彼の周りにいた学者たち(中には高橋を日本銀行副総裁にしたらどうかと言い出す御仁まで存在したわけだが)を、荻上は批判しないで、なんで「東日本大震災の流言・デマ」を批判できるのか。

そこのところを強く疑問に思うのである。

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荻上チキにリフレ派への批判ができない理由は明解で、リフレ派へのアピールが売りになっているシノドスの存在があるからだ。

それで公平な議論ができると思うのであるとすれば、それはそれでちゃんちゃらおかしい。

なんでこんな人が信用されているのだろう???

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先日、海外のある新聞に、スコットランド独立をめぐる住民投票に関する政治家の論考が掲載されていて、私は非常に興味深く読んだ。

きわめて知性的で、私は信頼しているこの政治家によれば、スコットランド独立を推し進めた側はポピュリズムの文脈で解されるべきであって、したがって批判されねばならず、支持もしない。

では、批判されるべきポピュリズムとはなんなのか。

この論考を書いた政治家によれば、本来複雑かつ多面的で、解決には非常な手間と時間がかかる問題について、人々に「こんなに簡単な方法がある」と意図的に単純化した議論を語り、「にもかかわらずあいつらは」と言って煽り立て、自派へ支持を取り込むこと、とある。

議論の是非を論じる資格は私にはないが、これを読んで、自然にネット・リフレ派のことを連想した。

ネット・リフレ派も、悪いのはデフレだと言っていた。そしてインフレにするのは簡単だとも盛んに言っていた。こんな簡単なのに、それをやらない日本銀行は、日銀総裁は、と言っていた。最近では、財務省事務次官への指名手配書がでまわっていた。

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私は、日本人はどうしてポピュリズムを、しかも批判されるべき、悪い意味におけるポピュリズムを批判しないのか、また批判するような論があまり見られないのか、かねがね疑問に思っている。

冷戦終了から20年以上たっても、まだ古めかしい右翼左翼の党派性でしか考えられない人というのはたくさんいる。ウヨサヨの色分けが無駄だとは思わないが、しかし「あんたの頭の中では冷戦がまだ続いてるの?」と言いたくなる人がかなりいることも事実であって、このところうんざりしていたりする。

私が見るところ、悪しきポピュリズムという意味では右翼も左翼も同じことをやっており、したがってどちらも批判されるべきだ。右翼が左翼を罵倒し、左翼が右翼を嘲笑している現状は、まるでどんぐりの背くらべ、目くそ鼻くそを笑うでしかない。そのようにしか見えない。

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先に荻上チキの例を出したけれども、これはあくまでも例にすぎない。

彼は、東日本大震災におけるデマや流言をとりあげながら、リフレ派の言動を黙認するどころか、積極的に是認している。

言い換えると、リフレ派という悪しきポピュリズムを容認・是認していると言ってもいい。

さらに別の言い方をすると、自分がやっているポピュリズムに対する反省や自覚が一切ない。

そして肝心なことは、これは萩上ひとりの問題ではなくて、ありとあらゆる場面、人に見られるということが問題だ。私がもっとも強く言いたいのはここのことである。

日本でポピュリズムが批判されないのは、みな当り前な顔をしてポピュリズムしかやってないので、批判どころか、自覚すら持てないからだ。いかに信頼できそう、良心的そうな人でも、所詮その程度でしかないのである。

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どこから書き始めようかと思ったが、とりあえずこういう話から書いてみた。すると、たまたま hamachan 先生が、次のようなエントリを挙げておられた。
レトリックとしてもそこまで言うたら嘘やろ: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

話の主眼がそこにはないのは承知の上で、それ故話を盛り上げるために盛った言い方をしていることを差し引いたとしても、それにしてもそこまで言うたら嘘やろ。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20141002/p1 (流れた研究会用のメモ)

結局バブル崩壊以降、労働プロパーの研究者の大半は、左右を問わず伝統的日本型雇用への回帰を呼びかける以上のことができない。

こういう嘘を言わんとリフレの宣伝がでけへんのやったらやめた方がええ。

「切れば血の出るリアルポリティクス」を実践している人に、hamachan 先生がこういう批判をするのはきっと容易だろう。

しかし私は、ネットリフレ派が稲葉のみならず、おかしい議論を批判できるか、シノドスが批判できるか、批判してきたのか、と思う。もちろん、現実にはそういうことは全然なされてこなかった。bewaad さんのような貴重な例外を除いては。

いくら「知的」を売りにしても、ポピュリズムへの無自覚たるやかくのごとし。まずここから話を始めたい。