扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part132

単純に情報操作にひっかかる人々について: 極東ブログ
個人的には終風さんのリフレ論とリフレ派に対する姿勢はもう全く同感できないわけだけど、引用されてる tweet を見て吹いちゃったわけです。
https://twitter.com/a1675ka/statuses/385392058057248770

@finalventfinalvent)先生とか@baatarism(baatarism)先生とかいったおなじみの顔もorz / “「消費税増税はマスコミの飛ばしだ!」と憤っていた方々 - Togetter” http://htn.to/Jn2s2d

終風さんや Baatarism さんに「先生」という敬称を付けている。これに私は吹いた。


ごくごく一般的に考えてですよ。実名なり肩書なり立場がはっきりしているような人を「先生」呼ばわりするのは理解できるけれど、どこの誰だか知らん人間相手に「先生」呼ばわりするのは一体どういうことなのか、というんです。もっとも皮肉としてなら私もよく「先生」呼ばわりするし、このブログでも基本的にそうなってるはずだが、この人の場合はたぶん相当無邪気にこの「先生」を使っている。


この tweet の人、「先生」呼ばわりしている相手を批判的に読むことをこれまでしてこなかったんじゃないのかしらん。。。それでも、あの togetter のまとめでようやっと気が付いただけましかもしれない。


とくに、Baatarism さんの陰謀論のひどさというのはこのブログでもしばしば取り上げてきたところであって、ネットリフレ派の劣化に大きな責任を有する一人だと言っていい。そういう人を「先生」呼ばわりとは一体どういうことかと、そりゃ言いたくもなりますよ。

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いやだから、ネットの問題ってこれなんだと。


先生呼ばわりは人の勝手で結構だけど、あるいは先生呼ばわりなどしなくとも、それなりに信用を置いている人というのはそれぞれあるんだろうがしかし、信用を置かれている人が言っていることに責任を持ってくれるとは限らないんで、自戒を込めて書くと、結局いかに信頼できそうなことを書いている人であっても、自分で批判的に読んでないといけないんでしょうと。


それをやらないから、ネット上の徒党となるんじゃないですか。仲間内で馴れ合ってしまって批判がきかなくなる。

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ちなみに、終風さんの上のブログ記事に関しては、フーン、という以上のものはありません。ま、確かに「憤り」という括りでまとめられると筋違いだろうなとは僕も思った。


ただし、問題の tweet を9月半ばに見たときは「あーあー、相変わらずだなぁ」とは思った。


「大手紙と政界・官界の癒着的構造の結果なんだろうけど」とおっしゃるけど、それがどうかしたの?としか言いようがない。そんなものは程度の差はあれ、どこの国にもあるわけで。


さらにブログ記事の方では「情報操作」と断じておられるけど、これも根拠がない。消費税増税の総理決断は確かにニュースのネタとしては大きいし世間の関心も高い話題で、メディアのほうが先走るというのは無理からぬし十分に理解できるところ、仮に「情報操作」があったとしても官房長官にあっさり否定されてるわけで、「情報操作」をあげつらう意味がほとんどない。「新聞記者ってバッカだねぇ」で話はすむ。


はっきり言ってしまえば、「大手紙と政界・官界の癒着的構造の結果」や「情報操作」について「この話題を追ってきた人にとっては、こんなずさんな情報操作にひっかかることはない」そうだが、「この話題を追ってきた人」とは要するに、かねてご推奨の高橋洋一を含め長らく陰謀論で扇動しまくっているリフレ派界隈の人たちのことをさすんじゃないんですか。


「憤り」では確かになかったろうが、相当陰謀論に影響されているのは明らかなんで、そういう人が「先生」呼ばわりされていて、結構信頼されて読まれているのに、ご当人は自分は大した人間じゃないからと言って責任を回避している。


そのあたりで、終風さんには「あーあー」と思うことが正直言ってよくあります。


終風さんのニセ科学批判に対する距離の置き方には全く同感できるのでそのあたりはよく分かるわけですが、他方でニセ科学批判と同じことをやっているリフレ派に極めて甘いというのはどういうことなのかといつも思います。ま、とはいえ人間ですから。あるいは人間は誰しも完璧じゃないですからね。